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- ID:
- 49445
- 年度
- 2011
- 月日:
- 0114
- 見出し:
- 「三重津海軍所」跡 大型船ドック姿見えた 入り口確認 50メートル級 収容可能
- 新聞・サイト名:
- 西日本新聞
- 元URL:
- http://www.nishinippon.co.jp/wordbox/display/7935/
- 写真・動画など:
- なし
- 記事内容
- 幕末佐賀藩の近代海軍基地「三重津(みえつ)海軍所」跡(佐賀市川副・諸富町)の発掘調査を進める佐賀市教委は、海軍所跡から藩の艦船を修理するドック入り口部分に当たる護岸の遺構を初確認した。発掘調査とともに進む文献史料調査と併せ、少なくとも当時の最新鋭艦だった全長50メートルの船
を収容できる大型ドックを有す、日本有数の海軍拠点だったことが判明した。
確認された入り口部分の護岸遺構は幅6、7メートル。木材を複雑に組み合わせ、土で固めた構造で、国立科学博物館(東京)の鈴木一義主任研究官(科学技術史)は「木と土を使った日本固有の技術を駆使した護岸構造は全国的にも類例がない。佐賀藩が自前の技術で近代化に取り組んだ歴史を
物語る重要遺構」と評価している。
海軍所跡は、有明海に注ぐ早津江(はやつえ)川の現在の河口から約6キロ上流の河川敷に位置。ドック入り口部分の護岸遺構は、2009年4月から始まった発掘調査で、すでに確認されたドック内部の護岸遺構から河川方向への延長で出土した。
さらに、市教委が佐賀県などと共同で進める文献史料調査でも、新たな史実が判明した。
佐賀藩の決裁集「請御意下(ぎょいうけくだし)」からは、藩がオランダから1858年に購入した蒸気船「電流丸」(全長約50メートル、幕府の咸臨丸(かんりんまる)と同型)をドックで修理。作業場で「蒸気鑵(かん)(ボイラー)」を製造したことを示す記述を確認した。また、「岸搦(きしがらみ)戸立」という表記も
あり、有明海の激しい干満差に対応し、水位を調整できる機能を備えたドックだったと推測される。
当時の日本は西欧諸国の来航により、江戸幕府の鎖国体制が崩壊(開国)。倒幕の機運が高まり、明治維新を迎えた激動期、佐賀藩は海軍所設置や国産初の実用蒸気船建造、国内初の洋式鋳鉄製大砲製造など、近代化を推し進めた。
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