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- ID:
- 49860
- 年度
- 2011
- 月日:
- 0301
- 見出し:
- 島前の松林よみがえれ
- 新聞・サイト名:
- 読売新聞
- 元URL:
- http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shimane/news/20110228-OYT8T00995.htm
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 流罪になった後鳥羽上皇が青々と茂る姿に心慰められるなど、かつては松林があちこちにあり、風光明媚(めいび)の地として知られた隠岐諸島の島前地区。病害虫被害で2001年に松はほぼ全滅したが、かつての風景をよみがえらせようと、海士町と西ノ島町、知夫村などでつくる「隠岐島前森林復興公社」
(海士町)が病害虫に強い抵抗性松の植樹を続けるなど、森林再生に取り組んでいる。(佐藤祐理)
県森林整備課は、マツクイムシ被害を材木の体積を示す単位「立方メートル」で集計。島後も含めた隠岐諸島全体では1994年に最大4万5000立方メートルが枯れ、瞬く間に拡大。各町村は枯れた松を伐採し、被害に遭っていない松には薬剤を注入するなど、さらなる拡大防止に努めたが、猛威の前に
はなすすべもなく、島前の松は2001年に壊滅状態となった。
「名木」も被害に遭い、海士町では、後鳥羽上皇の船を係留したとされる「綱掛けの松」(高さ15メートル、幹回り4・4メートル)が枯れた。倒木の危険があったため、約15年前、「観光用に」と根元部分を残して切り倒された。この地で没した上皇は「いかにせむ/葛はふ松のときのまも/うらみてふかぬ/あ
き風ぞなき」など島の松を和歌に詠んでいるが、当時の姿はもうない。
西ノ島町の別府港近くの丘には、やはり流された後醍醐天皇の行在所跡など名所旧跡が多く、松の古木も無数にあったが、枯死したり、被害拡大防止のため切り倒されたり。地面の保水力が落ち、伐採後に斜面が崩れかけることもあり、成長が速い広葉樹を植えるなどしてしのいできた。
こうしたことから、マツクイムシ対策を目的に、96年に設立された同公社がボランティアの協力も得て、20年計画で枯れた跡地にスギやヒノキ、コナラを植樹。昨年からは県が開発した抵抗性の「くにびき松」の苗を植えている。スギなども含めて既に480ヘクタールで作業を終え、残り5年間でさらに約50ヘクタ
ールに植える予定だ。
同公社は「植樹も順調に進んでいる。下草をしっかり刈るなどして丈夫に育てていきたい」とし、観光関係者も「かつての姿を、ぜひよみがえらせたい」としている。
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