v10.0
- ID:
- 49135
- 年度
- 2010
- 月日:
- 1215
- 見出し:
- 遺跡から過去探る(大仙市)
- 新聞・サイト名:
- 秋田魁新報
- 元URL:
- http://www.sakigake.jp/p/special/genki_project/ikiru/article2_15.jsp
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 中学校の社会の授業で暗記した「鳴くよ(794年)ウグイス平安京」の時代。秋田には、古代からこの地に住んでいた蝦夷(えみし)を支配するための最前線といわれる「払田柵(ほったのさく)」があった。それから1200年余り後の現在。県払田柵跡調査事務所(大仙市払田)の学芸主事に4月から赴任した五
十嵐一治(44)は、払田柵の地中に眠る遺構や遺物の発掘と、分析に日々を費やす。
―遺跡の多くは、道路建設や施設の移転・新築といった開発事業で見つかるケースがほとんど。原形のまま保存するのが最善の策でしょうが、人が暮らしていくには、真っすぐな道路も大きな建物も必要で、必要最小限の範囲で壊す部分が生じてしまう。発掘調査は、理科の実験のように何度も繰り返し調
べることはできません。「記録保存する」という意義が大きいんです。
払田柵の存在は、地元が生んだ作家後藤宙外(1866~1938年)らが、明治後期に掘り出された柵木に注目。1931(昭和6)年、県内最初の国史跡に指定された。しかし戦後の経済成長などに伴い、その後の調査はほとんど進まなかった。県が同事務所を設置し、本格的な発掘調査を始めたのが74
(同49)年。以来、今年で37年目となる。広さは東京ドーム19個分(87.8ヘクタール)に及ぶ。
これまでの調査で、払田柵が蝦夷支配の最前線としてだけでなく、行政・軍事両面で国の出先機関の役割を果たしていたと推定されるようになった。復元された高さ10メートルの外柵南門や柵は、当時見つかった柱の跡の規模や木の太さなどから形を推定し、建築の専門家や古代史家から設計や時代考
証に関する意見も聴いて造られたものだ。
―単に観光客を呼ぶのなら大きく華美に造ることもできたろうけど、ここはそうしていない。なぜか。忠実に再現することで、より一層当時の様子や雰囲気を体感し、遺跡としての価値や大切さを知ってもらいたいからだと思うんです。年間5万人が訪れていますが、ガイド役になってこの柵の話を説明すると、来訪
者の反応が大きいですね。
ことし発掘調査に携わったのは地元の作業員たちを含め6人。周辺は水田だが、ボランティアガイドから「あそこで皿っこが見つかった」「川の跡みたいなものがあるらしい」という話も耳に入ってくる。地元の人たちの生活の中に、身近な存在、あるいは心のよりどころとして、払田柵がある。
―これから先、県が何十年と調査を積み重ねたとしても、学術的な成果を生むことだけがすべてではないと思います。ここにいる人たちには、払田柵が生活する上で重要だという価値観が備わっている。大仙市が毎年のように国の補助を受けて土地を少しずつ買い上げ、調査結果に基づいて史跡公園として
整備を進めていることからも分かるはずです。それが郷土に対する愛着や誇りにもつながっている。
今から数千年前。縄文時代の秋田には大規模集落があり、北東北一帯で一大文化圏を築いていた。奈良時代から平安時代にかけては、払田柵とほぼ近い役割を持った最前線が多くあったといわれる。その過去を知る手掛かりといえる遺跡は、県内至る所にある。
壊す予定で壊さなかった例外といえるのが、伊勢堂岱遺跡(北秋田市)だ。大館能代空港のアクセス道路になるはずだったが、新聞やテレビなどマスコミ、住民らから保存の声が高まり、道路を建設する県が最終的に計画を変更し、遺跡を縦断しない形での保存が決まった。
発掘調査が終わると、出土した土器や地層などのデータを基に、遺跡の特徴を分析する=大仙市の県払田柵跡調査事務所
―当時、伊勢堂岱遺跡の調査に携わっていたんですが、記者の人たちが「今日の成果は何でしょう? 何か見つかりましたか」って毎日聞きに来るんです。小さな発見や調査結果でもニュースになる。パズルが埋まっていくように、これまで分からなかったことが次第に明らかになっていく面白さを感じたのと同時
に、こうした埋蔵文化財を守ることはどういうことなのか考えました。
1950年に制定された文化財保護法は、衣食住や信仰、年中行事などに関する風俗慣習、民俗芸能などを文化財と定め、「公共のために大切に保存するとともに、文化的活用に努めなければならない」としている。歴史を知り、過去を残すことにどんな意味があるのだろう。
―文化財は、普段の生活で意識することが少なく、その大切さに気付きにくい。それなのに、失いそうなときになって初めてその存在と価値に気付く。「守ろう」「保存しよう」と声が上がる。ある意味、空気と似ているのかもしれません。
文化や伝統をどう継承すべきか、私たちはいつもその判断に迫られている。それは、先人がこれまで守ってきたからこそできることだ。過去の積み重ねの上に現在があると考えれば、日常のささいな出来事や物事からも過去をうかがい知ることができる。五十嵐は、それが歴史や文化を知ることではないかと考
える。
..