v10.0
- ID:
- 48006
- 年度
- 2010
- 月日:
- 1005
- 見出し:
- 小田原で明治時代の豆相人車鉄道の車両を復元
- 新聞・サイト名:
- カナロコ
- 元URL:
- http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1010040013/
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 明治時代に小田原と熱海を結んだ“人力列車”「豆相(ずそう)人車鉄道」の車両を小田原市根府川で旅館を営む内田昭光さん(68)が手作りで復元した。11年前に復元した湯河原町の和菓子店創業者・室伏昇さん(89)に続き2例目という。「人間の力ですべてやる。車夫が汗を流しながらサービスする」。
人車の魅力を広めたいと意気込んでいる。
人車は2、3人の車夫が6人乗りの車両を押すことで前に進む。1896年に小田原から終点の熱海まで約25キロが全線開通し、4時間ほどかかったという。スピードが出る下り坂で時に脱線、上り坂では乗客が一緒に押すこともあったようだ。1908年に蒸気機関車が牽引(けんいん)する軽便鉄道になった
が、関東大震災で線路が寸断され、廃止に至った。
もともと子どものころから、鉄道模型に夢中になるなど鉄道ファンだった内田さん。根府川にあった曾祖父の家の前が人車の軌道だったという。子どものころは父から「昔、人間が押す鉄道があった」と聞かされて育った。
ミカン農家を継いだが、次第に家業は下火になり、50歳で旅館業へ転じた。6年ほど前、まちおこしグループ「西湘まるごと研究会」に参加。グループを主宰する室伏さんに感化された。室伏さんの1号車は普段は和菓子店「味楽庵」前(湯河原町)に展示されているが、小田原や藤沢のイベントにも出張する
。内田さんはトラックでイベント会場に車両を運ぶなどして手伝ううちに「自分でも作りたいと思うようになった」。
昨年暮れから旅館に出入りする大工さんと一緒に復元に取り組み、9月、完成させた。60万円ほど掛かったという。
木製68件で大きさは長さ70センチ、幅130センチ、高さ160センチ。当時の設計図はなかったので、室伏さんから資料を借りたり、助言をもらったりしながら古い写真を基に推測、製図した。中にいすを設け、人が押せるようにブレーキと手すりも付けた。
経営する旅館「離れのやど 星ケ山」内に長さ20メートルのレールを敷き、展示している。旅館利用者以外の見学も受け付けている。
室伏さんは「私の人車は子どものような存在。内田さんの2号車は孫が生まれたようだ」と喜ぶ。内田さんは「一から始めた室伏さんはたいへんだったと思う。志を受け継げてとてもうれしい」と満足そう。「今後は小学校などにも出前し、地域の歴史を大勢の人に知ってほしい」と話す。
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