v10.0
る。
- ID:
- 46017
- 年度
- 2010
- 月日:
- 0517
- 見出し:
- 《ことばの肖像》 「喜んでもらって初めて役を終えられる」
- 新聞・サイト名:
- 読売新聞
- 元URL:
- http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/news/20100516-OYT8T00726.htm
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 鷺舞工房主宰 三浦節子さん 58 (潟上市)
潟上市で鷺舞工房を主宰する三浦節子さん
伝統にとらわれず、作者の自由な発想で造形する創作こけしの工房を潟上市で主宰する。工房の中央で、いたずらっぽくほほ笑むトラの顔をしたこけしは、毎年、一つずつ作り上げてきた干支こけしの最後の一支。
「毎年買い続けてくれたファンから『12年間、お互いに健康で無事で過ごせましたね』と言われた時、作り手と買い手の思いが通じ合えた喜びを感じました」
創作こけしを始めたのは、東京の信用金庫を退職して帰郷した21歳の時。父親の製材会社の仕事を手伝う傍ら、絵を描くことに没頭していた時、テーブルの脚材のデザインを頼まれたことがきっかけだった。次第にかわいらしい絵柄の作品を求める人たちが現れ、木の香りに包まれた創作活動を「天職と感
じた」という。
お地蔵様やカエル、ウエディングのこけしなどぬくもりあふれる作品の幅は広い。しかし、伝統にとらわれない独創的な作品は、「邪道」と批判されたこともあった。そんな時、「現実に作品を買ってくれる人たちがいるじゃないか」と、自分を応援してくれたのが、最大の理解者の弟だった。しかし、その弟は1996年
にがんで41歳の若さで息を引き取った。
ふさぎ込みがちになった自分を今度は周囲が励まし続けた。絶望からの出口は自ら見い出すしかないと意を決し、「すぐにはかなわない難しい課題」として始めたのが干支づくりだった。
翌年には、弟や自分の作品を必要としてくれる人たちを守りたいと、初めて応募した「全日本こけしコンクール」で、ほっかぶりをした農家の3世代家族のユニークなこけしが林野庁長官賞を受賞。批判的だった周囲の目は変わり始めた。
ただ、自分が「先生」と呼ばれることには怖さを感じていた。そんな自分と向き合うため、今度は高い芸術性が求められる「全国近代こけし展」に挑戦。プロを意識する自分とまだ未熟な自分とのせめぎ合いを紅白の梅で表現した「梅咲き競う」で、2007年の新人賞に輝いた。
「この年齢でもまだまだ行けるというチャンスをもらった気がしました。だって今が“旬”ということでしょう」と笑う。
ファンからの創作依頼は絶えないが、忙しさは自分の作家としての評価と前向きにとらえ、「寸暇を惜しんでやることに意味がある」という。
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