守様事芸州より御帰坂の後御役御免ニ相
成此の頃江戸へ御下リニ御座候 淀侯此頃老職
御再住ニ相成リ尾州大納言様も近々御登
坂の上淀侯同道ニて芸州へ御下りの噂有
之候 東本願寺尾州玄田様江戸表へ
御下りの後は明堂呪御座候処又々御宿被仰付候
御下見分厳重ニ三度?有之縁ノ下床下?
御改の由右は先年中国へ御下の七堂上
方両人御折去残五人筑前宰府ニ被為在
候処近々右五堂上御帰坂ニ付右本願寺御
下宿ニ相成候哉の風聞仕候実否不詳先日
より御帰洛の噂も有之候得共未御登リ無之候
一公方様も御上洛の風評有之候得共未其義無之
一橋卿会津侯御下坂の噂専ら申唱候
一、 京都騒々敷事ニ付東寺弘法大師御影も
高野山へ送リ候由同所ハ薩州家の御下宿
の由市中も火の無キ火事同様の事と申事ニ候
薩州家ハ其餘浪士多分京地へ入込有之
中川会津ヲ覗ひ候由ニて京師の悪説
いろいろ申唱候得共恐入候事ハ不言