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木造建築のネツト記事
ID :  3627
公開日 :  2007年  4月24日
タイトル
[私の祖父が施工した神社です
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新聞名
ITmedia Alternative Blog
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元URL.
http://blogs.itmedia.co.jp/yohei/2007/04/post_dc2d.html
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元urltop:
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写真:
 
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先日大きな地震があった、忍者の里の伊賀上野あたりで どこかの工務店などに所属することなくやっていたようです フリーの大工という表現があるかどうかわかりませんが(笑) フリーの大工でした。 こちらは私の父の実家と同じ敷地内にある神社の写真です この写真の左手には名張川という大きな川が流れています 父の話によれば、伊勢湾台風のときに右手の稲荷神社の石碑の 「神」くらいの位置まで水が来たとの事です 軽自動車の大きさから鳥居の大きさが伝わるかと思いますが わりと大きな神社です。写真には写っていませんが 右手側に何軒か家がある中の1軒が父の実家です 父の兄、つまり私にとってのおじさんがその家に居住中ですので 先日の地震の折りには心配でした。それでネットを見ていると この見覚えのある神社の写真を見つけました この場を借りて写真の掲載許可をいただきましたウージー様にお礼申し上げます。 さて、こちらの本社拝殿と言われます、メインの建物 私の親族では「この建物は祖父が施工した」と言い伝えられております 公式な資料があれば良いのですが、父曰く「たぶんそんなものはない」とのこと この拝殿は先日の地震の揺れにばっちり耐えました 小学校の校庭では、立ち木に亀裂が入ったほどの揺れだったそうです。 鳥居と狛犬(3対)はそれぞれ作られた時期が違いますのでちぐはぐですね 稲荷神社ですので狛犬というか狐です。犬より顔がスリム 右手の大きな木はイチョウです。シーズンになるとすごい量の銀杏が取れます。 身内を褒めるようで変ですが、どうやったらこんな立派なものを 作れるのか、とても不思議に思います。というのも祖父は自分にとっては とても優しくしてくれる普通のおじいちゃんだったからです。 私の祖父は明治の終わりごろの生まれでして、戦前から大工をしていました 偉い学校を出たわけでもなく、当時の事ですからばりばりの徒弟制で腕を磨いたことでしょう 家などが中心だったようです。材木屋さんの娘である祖母と結婚して生まれたのが父です。 変り種と言えばこの写真の神社と石の橋を作ったと聞きました もっとすごいのが、先の戦争では広島県で戦艦内の居住スペースを 作っていた、という噂もあります。技術職だったため、そのような仕事が 割り振られるため出征はしなくて済んだと聞きます。SEはどうなんだろう・・・ また、作業をするべき戦艦が無くなったため広島から三重県に帰ってよろしいとの許可が出たそうです 父は戦後の生まれです。もし祖父が出征したり広島に残ったりしていたとしたら私は存在すら・・・。 さて、私も差し金で丸太から角材を切り出す方法や、その際の1辺の長さを 計算する方法、墨ツボの使い方などは父経由で学びました が、祖父がどのように最近噂の「構造計算」等をこなしていたのか謎です。 設計図を引いているところもあまり見ませんでした (これは私が設計ドキュメントを整備するのが苦手だという言い訳ではありません) 材木に差し金をあてて墨を引き、いきなりノミでホゾを彫ります 木に凹と凸を作りこむやつです。現在ではそれだけだと耐震性に問題があるので 補強する金物を入れましょう、という場合もあります しかし祖父の作ったホゾは子供の自分にはとても堅牢に見えました 木槌でごつんと叩いて木の穴に木のでっぱりを差し込むと蹴っても抜けません 墨で線を引くといっても竹べらに墨をつけて線を引きますので、 線の太さ自体が5ミリほどあるんですよ。なのに手仕事でそのような精度が出る 魔法でも使っていたのでしょうか これからは私もドキュメント書かないでアジャイルに(略 また、上の写真の通り日本建築では屋根が斜めです 屋根のてっぺんのところでは斜めの屋根が支えあう形になります そのあたりに水平や垂直に発生する力は正しくは三角関数を使って 計算するはずなんでしょうが、、、というところもまったくミステリーです 長年の経験と勘なのでしょうか。 当然、そんな祖父が猛勉強して建築士試験に挑む、ということなどあろうはずもないです しかしどうやら祖父を含めて経験豊富な大工さん達は建築士制度ができたときに 「木造建築士」という資格をもらった、ということもわが親族で言い伝えられております。 田舎ということもあり、そんな紙っぺらの免状よりも「大工の山口さん」という信用のほうが よっぽど大きかったことでしょう。今の私が実務経験も浅いままに いくつか免状をもらっているということを知ったら、火をかけられそうです。 自分もシステムというものづくりに関わるようになりました そうしてみると祖父はものづくりをどのように考えていたか、ということが気になります。 そのヒントになるかもしれないエピソードを聞きました 父が子供の頃、小学校で船の模型を作るという宿題が出たそうです 父は祖父に道具を借りて課題に取り組んだのですが、 いつの間にか祖父が中心に作りこんでおり、並大抵の完成度ではない 船の模型が出来上がってしまい(温泉旅館の船盛りの船みたいとのこと) 先生への言い訳などで大変だったそうです。 私もお客様に納品する物でもない、自分用のエクセルのマクロなどに おかしいほど凝ってしまうことがあります。そういうのは時間も気になりませんし お腹も空きません。それが遺伝なのか教育の成果なのかはわかりませんが、 祖父のものづくり魂をちょっぴりでも受け継ぐことができたみたいで嬉しいです。 残念ながらそんな祖父も15年ほど前に他界しております 今は奈良県の室生寺でのんびりしていることでしょう (台風で五重塔が壊れたときは気が気でなかっただろうか) システムなんていう姿かたちのはっきりしないものを作る自分の姿を 天国の祖父がどのように見つめているかはわかりません それでもご飯食べるのも忘れるほど集中して仕事をしていたら、 喜んでくれるのではないでしょうか そうした姿勢が独りよがりにならず、お客様のバリューになる それがものづくりの醍醐味だと思います。 終わりになりますが、インターネットのおかげで私にとっては 大変価値のある写真を見ることができました 最近、世界遺産となった熊野古道と伊賀上野あたりは地理的にも遠くないです あの辺りには応仁の乱で灰塵と化した京都と違って古いお寺がたくさん残っています その一部、名張の神社の写真を紹介しておられますウージー様のサイトはこちらです。