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木造建築のネツト記事
ID :  12406
公開日 :  2009年 7月 3日
タイトル
[伊勢神宮―魅惑の日本建
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新聞名
朝日新聞
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元URL.
http://book.asahi.com/review/TKY200906300112.html
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元urltop:
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写真:
 
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日本固有なのか その通念を否定  伊勢神宮は、その簡素な白木の建物と、式年遷宮(20年ごとに造り替える)で知られている。しかし、これをたんに建築としてだけ見ることはできない。伊勢神宮は明治以後国家神道の中心となったわけで、政治的な 意味が今もまといついているからだ。にもかかわらず、それだけで片づけることができない何かが伊勢神宮という建築にある。建築の様式や技術として見た面と、宗教的・政治的に見た面が複雑にからまりあっている。
伊勢神宮が建築史学界の争点となってきたのはそのためだ。本書は、これまでの錯綜(さくそう)した議論を根本的に解きほぐし、とらえなおしている。
 一般に、伊勢神宮には、仏教伝来以前の日本に固有の建築様式が保存されていると考えられている。このような通念をもたらしたのは、伊東忠太だといってよい。伊東は装飾を排し簡素をめざす西洋のモダニズムの 観点から、伊勢神宮を建築として評価したのである。さらに、そのような傾向を強めたのは、まさに西洋から来たモダニスト建築家、ブルーノ・タウトによる伊勢神宮の賛美であろう。その結果、つぎのような考えも出てき た。伊勢神宮はギリシャのパルテノンに匹敵する。後者が永遠性を石造りに求めたとしたら、前者はそれを、素材ではなく形式を永続させることに求めたのだ、と。
 著者が本書で否定しようとするのは、このような通念である。そもそも、式年遷宮は長期にわたって中断されたし、原形が保存されているという証拠はない。また、伊勢神宮を建築として見たのは、モダニストが最初で はない。1710年代に、並河天民、新井白石などの学者が、神宮を神学的象徴としてではなく、技術論的な観点から見た。たとえば屋根のしつらいは、丹波地方の民家と同型であり、本来防風のための工夫だったという のだ。
 モダニストらはこのような日本の言説史を無視した。また、神宮の建築的起源を、海外の民族建築との比較から見る、人類学・考古学の成果を軽視してきた。たとえアジアの民族建築と源泉が同じでも、それを独自に洗 練したところに、日本の固有性があるというのである。これは、いわば、建築史というかたちで生き残った「皇国史観」である。
 もちろん、このような通念に対する強い批判があった。アジア各地の高床住居との類似や仏教的建築の影響が指摘されたし、神宮が中国的な律令国家の官社制の下で作られたものだという主張もなされた。しかし、大 枠のところで、通念は揺るがされていないようだ。著者自身は、神宮の高床形式は、中国化が進んだ7世紀頃に、たんに古くさいところが気に入られて採用されたので、それに対する神聖化がなされたのはずっとあとだ、 という。この種の問題は、建築史学に限定されるものではない。ただ、建築史を通さないと見えてこない何かがある。本書は、それを門外漢にもよくわかるように示している。
    ◇  いのうえ・しょういち 55年生まれ。国際日本文化研究センター勤務。歴史家、評論家。著書に『霊柩車(れいきゅうしゃ)の誕生』、『つくられた桂離宮神話』(サントリー学芸賞)、『美人論』『夢と魅惑の全体主義』など多数 。