ID :
10069
公開日 :
2009年 1月 8日
タイトル
[匠の技 深化図る 宮大工 菊池恭二さん(遠野市)
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新聞名
読売新聞
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元URL.
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news/20090107-OYT8T00116.htm
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元urltop:
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写真:
写真が掲載されていました
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ツツジや紅葉の名所として知られる遠野市松崎町の福泉寺に向かって歩いていくと、木々の合間から、すらりとそびえる五重塔が見えてくる。
「世の中が平和なら、何百年かは建っていられるでしょう」
棟梁(とうりょう)として建築にあたった宮大工を束ねた菊池恭二さん(56)は、我が子を眺めるようなまなざしで塔を見上げた。
菊池さんは、全国屈指の宮大工として知られる。同寺にある多宝塔も、まだ20歳代だった菊池さんが建てた。そのほか、国重要文化財の池上本門寺五重塔(東京都)の修復や毛越寺本堂(平泉町)の建築工事も手がけ
るなど、全国で80を越える寺社仏閣の建築や修復に携わった。2006年には現代の名工にも選ばれた。
農家の次男に生まれた菊池さんは、中学卒業後、地元の大工の下で修業を積んだ。大工として独り立ちするまで、ふつうは5年ほどかかるが、菊池さんは3年で一人前と認められるまでに腕を上げた。
師匠の千葉三平さん(84)は、修業時代の菊池さんを「昼の休憩時間も惜しんで、道具を研いでいるような少年だった」と振り返る。
19歳で転機が訪れた。知り合いの大工に誘われ、鐘楼堂の建築を手伝った。丸く太い柱、整然とした木組みなど、家とは全く違う建築様式に、「こんな木の使い方があるのか」と衝撃を受けた。
やがて、「宮大工をやってみたい」との衝動を抑えきれず、当時、奈良県の薬師寺金堂の復元工事の棟梁を務めていた西岡常一氏(故人)の門をたたいた。
西岡棟梁は、法隆寺の昭和の大修理などを担い、「技術者の人間国宝」にもなった名工中の名工。その西岡棟梁の下で6年間、修業し、図面の描き方、職人の統率、配置など、宮大工の棟梁として求められるすべてを
学んだ。
「わからないことがあれば、聞きなさい」。西岡棟梁は常々そう口にした。しかし、いざ質問すると「よく見ているのか」、「君はどう思うのか」と切り返してきた。質問する前に、まずは自分の目でよく見て、自分の頭で考え
ることがくせになった。
そして、20歳代半ばにして舞い込んだ福泉寺多宝塔の新築工事。四角の下層に、円筒形の上層が重なる難しい建物に、西岡棟梁も「菊池君、えらいこっちゃで」と半ば驚いた。
「家一軒建てたこともないのに出来るのか」。菊池さんは何度も自問自答したが、最後は西岡棟梁の下で働いた経験を信じて仕事を引き受けた。
多宝塔は3年がかりで完成。「どんな仕事でも、努力すれば必ず出来る」。あの時の経験は今も自分を支えている。
菊池さんには今、考え続けている命題がある。「平成の建築とは」――。
社寺は、時代によって建築の形に違いがある。では、後世に語り継がれるべき現代の建築の姿とは何か。「歴史を大切にしながら、今という時代を刻み込んだ建築を追究したい」
熱っぽく語るまなざしは、過去と現代、そして未来を見据える。