ID :
8503
公開日 :
2008年 8月12日
タイトル
[信州・田中家の客殿を初公開 豪商の営みを知る
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新聞名
MSN産経ニュース
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元URL.
http://sankei.jp.msn.com/region/chubu/nagano/080812/ngn0808120329001-n1.htm
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写真:
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長野県北部の須坂市に栄えた豪商「田中家」の客殿「清琴閣」(せいきんかく)が、明治28年の建造以来、初めて一般公開された。屋久杉や吉野杉といった名木を使った建物で、明治・大正時代に活躍した画家
が描いたふすま絵や日本の初代首相、伊藤博文の書などが残り、当時の商家の営みや文化に思いをはせることができる。公開は17日まで。(比嘉一隆)
田中家は、江戸時代からの豪商の一族。農家出身だった初代・新八が須坂の商家で奉公ののち、1733年に屋敷を構えて独立したのが始まりだ。千曲川沿いなどで栽培された菜種に目を付け、油を採って江戸に送り商
いを拡大、たばこや米、大豆なども扱う“総合商社”に成長していった。何度か藩の献金に応じて藩財政を助け、山国の信州でありながら、宴席ではヒラメやアンコウ、タイなどの刺し身が並んだとの記録もあり、その財力
の大きさを物語る。
平成5年、田中家の屋敷は、祖先が残した所蔵品を展示する博物館「豪商の館 信州須坂田中本家」となった。3000坪の敷地の中に20ある土蔵のうち、5つの蔵を展示館として公開。約200年前に京都から庭師を招
いて作った池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)と呼ばれる池を中心に配置した庭園を見学できる。
初公開された清琴閣は、庭の滝の音が聞こえる場所という意味で名付けとされる建物。水音が涼しさを醸す。大正4年には、9代当主の田中新十郎、昭和24年には11代の田中太郎の婚礼が行われた。新十郎の婚礼は
1カ月に及ぶ盛大な式だったと伝わる。
客間は20畳ほどの大きさで、天井に屋久杉、吉野杉を使用。ふすまなどの絵は、著名な画家が描いたものだ。「昔は豪商がパトロンになっていて、画家たちがここで絵を描いて世話になる代わりに絵を残していたの
では」と12代当主の田中宏和館長(64)は話す。
明治神宮外苑の絵画館の壁画などを手掛けた山内多門(1878~1932)は、葦の生えた岩場を飛ぶハクセキレイを描いた水墨画をふすまに残し、床の間を飾る古代中国の4大美女、王昭君の掛け軸は東京画壇の重
鎮、寺崎広業(1866~1919)が描いた。ほか、日本画の大家、木村武山(1876~1942)、矢沢弦月(1886~1952)の絵が間近に鑑賞できる。額に入った「居實」の書は伊藤博文。入手経路は不明だが、「信州に来
た際に、家人の求めに応じて書いてくれたのかもしれません」(田中館長)。
拝観料は1000円で、清琴閣に隣接する旧母屋で冷茶と菓子を出す。1回の見学者を20人以内に限定し、20分程度で係員が案内する。田中館長は「大勢の人が入ると建物が傷んだり、光が入ると絵が退色してしまう
可能性があるので、公開をしてこなかった。今回は館のオープン15年を記念した特別の企画。田中家の深みを感じてほしい」と話していた。問い合わせは田中本家博物館(電)026・248・8008。