ID :
7224
公開日 :
2008年 4月17日
タイトル
[「慧日寺跡」に金堂復元
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新聞名
読売新聞
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元URL.
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukushima/news/20080416-OYT8T00789.htm
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元urltop:
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写真:
写真が掲載されていました
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磐梯町の国指定史跡「慧日(えにち)寺跡」に、本堂にあたる金堂が復元された。25日から一般公開される。国史跡の寺院内に金堂が復元されるのは国内で初めて。町は、会津地方で栄えた仏教文化のシンボ
ルとして地域活性化に役立てる。
慧日寺は平安時代の9世紀初めごろ、南都法相宗の学僧で、最澄や空海との論争で知られる徳一(とくいつ)によって開かれた。南東北から北関東にかけて、徳一創建とされる寺が100か所前後あり、慧日寺がその中心
だった。
1000年を越える歴史の中で、戦乱や度重なる火災によって往時の建物はすべて焼け、明治時代の神仏分離政策後には、磐梯神社の境内地となった。だが、現存する絵図や、1985年から続く発掘調査で見つかった
礎石などから大規模な寺院だったと推測されている。1970年に国史跡に指定され、現在は3地区約17万平方メートルが文化遺産として保存されている。
復元された金堂は同年代の奈良・室生寺を参考に設計され、寄せ棟造りで幅約16メートル、奥行き約9メートル、高さ約8メートルの大きさ。遺構の位置に合わせた礎石には、遺構と同じ石質の地元産自然石を使ってい
る。屋根は厚さ1・5センチの杉材などを使った「とち葺(ふ)き」を採用し、壁は漆喰(しっくい)にするなど、当時の工法に近い仕様にした。
史跡整備を重点施策に掲げる町が、寺院の中心となる金堂の復元を文化庁に働きかけ、2005年から京都の業者が工事に着手していた。総工費は3億9000万円(国負担2分の1)。町は今後、金堂近くにある遺構の中
門、石敷き広場の復元も行う。
16日は、町民を対象にした内覧会が行われ、約400人が見学に訪れた。
五十嵐源市町長は「古代建築の復元を忠実に行ってきた。多くの人に見てもらい、学んでほしい」と話している。