ID 15786
登録日
2010年 4月13日
タイトル
大銀杏のように生きる
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新聞名
読売新聞
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元URL.
http://hokuriku.yomiuri.co.jp/hoksub4/milk/ho_s4_10041401.htm
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元urltop:
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写真:
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詩人 四方 健二
先頃、鎌倉鶴岡八幡宮の御神木、大銀杏が倒れたということが話題になっていた。樹齢千年ともされる老木だ。
石川県内にも、そうした巨樹、老木が幾つも存在している。菅原神社の栢野の大杉や、白峰の太田の大栃などは、その代表的なものとして挙げられることだろう。それらは緑豊かな石川県の表れであり、誇るべき宝だ。
さて、前述の大銀杏だが。現在再生が試みられている。朽ちてない根元部分の移植や、残された根を保護することで、新たな芽が伸び出るというのだ。
そうした芽から育つ枝葉を「ひこばえ」と呼ぶ。ひこばえの成長は著しく、やがて幹へと育つことがあるそうだ。その生命力に、大銀杏の復活を懸けようというのだろう。
樹木が見せる逞しさ、凄まじいまでの生への執念には、圧倒されるばかりだ。
死の予感が漂う状況に陥りながらも、生きることを止めない大銀杏。与えられた命を最後の一滴まで燃やし、生を全うしようとしている。そこにこそ、命のあるべき姿があるのではないだろうか。
巨樹という圧倒的な生命を前にして、私は畏怖と、尊敬を覚える。その無言の威圧に、自身を振り返らずにはいられない。現実から逃げてはいないか。諦めることに甘えてはいないか。そう問われると、自信がない。真
摯に生きてきたつもりではあるが、至らなさを禁じ得ない。
季節は春。あらゆる生命が目を覚まし、日差しの下で躍っている。草も木も、新芽も花も、温かな風に包まれて揺れている。
与えられた命の時を、持てる全てを尽くして生きる生命。だからこそ、生命は輝くのだろう。
私もそうでありたい。最期の瞬間まで命を燃やして、私のままで生きていきたい。
( 2010年4月14日 読売新聞)
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