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ID 15626
登録日   2010年 4月 6日
タイトル
被爆桜 遺志継ぎ植樹
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新聞名
朝日新聞
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元URL.
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000001004050005
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元urltop:
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写真:
 
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広島で被爆した桜の苗木を横浜に植えたいという仲間の願いをかなえた男性が秦野市にいる。スーパーを経営する原達也さん(54)だ。小学生が折った千羽鶴を大型オートバイ「ハーレーダビッドソン」で 広島に届けていた原さんは、不慮の事故で亡くなった仲間の遺志を引き継ぎ、今年2月に念願の移植を実現させた。
(毛利光輝)  2月19日、横浜市戸塚区にある市立下郷小学校の校庭。同小の児童に囲まれた原さんは、シャベルで1本の「被爆桜」の苗木に土をかけた。被爆桜は1945年8月に広島市に原爆が落とされたときに、放射能を浴びた 桜のこと。「やっと植えることができた」。原さんは、感慨深げな表情を浮かべた。
 原さんが被爆桜を横浜に植えようとした背景には、1人のバイク仲間の存在があった。07年10月、バイクで高速道路を走行中に事故を起こし、亡くなった同区の戸田博平さん(当時74)だ。
 戸田さんは04年から毎秋、下郷小の児童らが折った千羽鶴をハーレーに乗り、1人で被爆地の広島、長崎に届けていた。自身の戦争体験から、子どもたちの平和教育の役に立ちたいと始めたという。
 原さんは、同じ「ハーレー乗り」として感銘を受け、07年10月、初めて戸田さんと広島まで同行した。
 その時、戸田さんは広島市の担当者に「千羽鶴を届けた記念に被爆桜を横浜に植えたい」と交渉した。原さんはその様子をそばで見守ったが、「市保有の桜を提供できない」と断られた。不慮の事故はその帰り道で起 きた。
 原さんは翌年から1人で千羽鶴を広島に運んだ。一方で、広島市長に被爆桜の苗木を横浜に植えたいと手紙を出し、戸田さんの思いを伝えた。思いは通じ、市を通して広島東照宮から被爆桜がある碇神社(広島市)を 紹介された。広島県樹木医会の協力も取りつけ、広島で接ぎ木をして苗木を育ててくれることになった。
 事故から2年半がたった10年2月。育った苗木が、広島から原さんの元に送られてきた。下郷小のほか、周辺の小学校2校にも寄贈した。
 「これで区切りがつく。体力的にもきつく、千羽鶴を届けるのは終わりにしよう」。原さんがそう思った矢先、千羽鶴を折る児童から感謝の言葉がつづられた文集をもらった。「長い時間かけて届けてくれてありがとう」  原さんは今年もまたハーレーに乗って千羽鶴を届けに行くことを決めた。今度は長崎を目指す。
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このページの公開日は1999年11月12日。最新更新日はです。