ID 14791
登録日
2010年 1月27日
タイトル
大塩平八郎をしのんで ゆかりの木、槐を植樹 大阪
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新聞名
MSN産経
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元URL.
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/osaka/100127/osk1001270200002-n1.htm
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元urltop:
-リンク切れ-
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写真:
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江戸時代、飢饉(ききん)に苦しむ民衆のために乱を起こした大塩平八郎が住んでいた大阪市北区天満の屋敷跡近くで26日、ゆかりの木、槐(えんじゅ)が植樹された。乱の際に大塩らが放った砲弾が命中し
たとされる木で、植樹作業には大塩の同僚だった大坂町奉行所の与力の子孫らも参加。「木には大阪の未来を見守ってほしい」と思いを語った。
大塩は天保8(1837)年2月19日、大飢饉(ききん)のさなか、民衆の苦しみをよそに米価をつりあげる商人への怒りと、腐敗した幕府への抗議のために門弟らとともに乱を起こした。
槐は中国原産のマメ科の落葉高木で、大塩の屋敷の向かいにあった同僚の朝岡助之丞の屋敷に植えてあったが、乱の際に大塩側が放った砲弾の一発が命中したとされる。
槐の木は乱のあとも約150年にわたって生き続けたが、昭和59年、車の排ガスなどで内部が腐ってきたことから安全のため伐採された。その後、植樹された木も再び枯れたため、記念碑だけが残されていた。
今回は大阪国道事務所による街路樹維持作業の一環として3代目となる木を植樹。朝岡助之丞の子孫にあたる朝岡三治さん(78)らが、国道1号沿いに続くケヤキの街路樹の間に高さ約4メートルの若木1本を植え付
けた。
春になると青々とした葉を茂らせるといい、朝岡さんは「木が撤去されて寂しい思いをしていました。新しい木には100年、200年と大阪の未来を見守ってほしい」と話した。
また、大塩事件研究会会長で三重大学名誉教授の酒井一さん(78)は「解決すべき政治問題が山積の現在の社会状況は、大塩の生きた時代とよく似ている。この木を日本の未来を考える素材として、長く語りついでもら
いたい」と話している。
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