ID 1256
登録日
2006年 6月27日
タイトル
木の枝や葉… 壁画片新たに80点 創建法隆寺の彩り
.
新聞名
東京新聞
.
元URL.
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060628/eve_____sya_____001.shtml
.
元urltop:
.
写真:
.
奈良県斑鳩町の法隆寺で、聖徳太子が六〇七年に創建した当初の若草伽藍(わかくさがらん)跡から、樹木などを描いた七世紀初めの焼け焦げた壁画片や壁土、瓦などが大量に見つかり、斑鳩町教育委員会
が発表した。若草伽藍の金堂か塔を飾っていた可能性が高いという。
現場近くでは二〇〇四年に、同時期の焼けた壁画片が出土。六七〇年に法隆寺が焼失したとの日本書紀の記述を裏付け、現在の伽藍が再建されたことを証明する資料と考えられている。今回の調査結果と合わせ、高
松塚古墳(奈良県明日香村)などより古く、最古の寺院壁画とされる若草伽藍壁画の全容解明に期待がかかりそうだ。
見つかった壁画片は約八十点。うち一点(縦約四センチ、横約三センチ)は、黄土色の木の枝や暗褐色の葉が描かれていた。葉は、火災の際に変色した可能性があるという。ほかに暗褐色のしま模様や、玉を連ねたよう
な飾りが描かれた破片もあり、仏画の一部だった可能性があるという。
現場は若草伽藍の塔跡から約九十メートル西。壁画片などは、平安時代の溝か池の跡からまとまって見つかった。短時間で一気に埋められたらしい。
瓦は高熱のため変形したり壁と癒着したりしており、同町教委は「火災の激しさをほうふつとさせる。若草伽藍焼失後、残った壁土や瓦を整理し、伽藍中心部からやや離れた現場周辺に集めたのではないか」と話してい
る。
■物語性重視の影響
百橋明穂神戸大教授(美術史)の話 再建された現在の法隆寺金堂壁画が唐の影響を受け、阿弥陀(あみだ)や浄土の世界を大画面で描いているのに対し、今回見つかった樹木図には物語性を重視する隋の影響が感
じられる。遣隋使を派遣した聖徳太子が創建した寺だけに、隋風に細かい情景を描いた壁画があった可能性が高い。伽藍(がらん)の中心部を発掘すれば、仏像や太子らゆかりの人物像が見つかる可能性もあり、今後の
調査に期待したい。
..