ID 1140
登録日 2006年 6月 3日
タイトル
天皇陛下 何もない ジュロン地区にソテツの木を植えた
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新聞名
読売新聞
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元URL.
http://www.yomiuri.co.jp/features/impr/im20060607_01.htm
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元urltop:
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写真:
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8日からのシンガポール、マレーシア、タイ3か国訪問を前に、天皇、皇后両陛下は6日、皇居・宮殿で記者会見された。会見のやり取りは以下の通り。
天皇陛下 質問に十分にお答えできないといけないので、書いてきましたので、それを基にしてお話したいと思います。
――天皇、皇后両陛下にうかがいます。今回、タイとマレーシアは15年ぶり、シンガポールはご即位後初めてのご訪問となります。それぞれの国に対する印象や今回のご訪問への抱負をお聞かせください。ご訪問先はい
ずれも高温な地域ですが、体調管理について両陛下でご相談されていることがあれば併せてお聞かせください。
天皇陛下 この度、外交関係樹立40周年を迎え、シンガポールを訪問し、またタイ国王陛下の即位60周年記念式典への参列のためにタイを訪問いたします。両国訪問の間の週末にはマレーシアに過ごし、平成3年、1
991年のマレーシアの訪問の時、訪問を中止したペラ州を訪れることになっています。
シンガポールには皇太子、皇太子妃として36年前の昭和45年、1970年に訪問し、大統領ご夫妻にお目にかかり、リー・クァンユー首相とは私どものために開かれた晩餐会でお話する機会を得ました。独立後、日も浅
く、国造りに努力している時で、何もないジュロン地区にソテツの木を植えたことが思い起こされます。今はこの地が日本庭園となっており、その木と日本庭園を見ることを楽しみにしています。この訪問からほぼ10年後
、サウジアラビア、スリランカを訪問の後、シンガポールに立ち寄りました。
今回の訪問はそれから25年ぶりのことになります。その間にシンガポールは発展し、一人一人の生活は非常に豊かになり、かつて訪れた造船所などに加え、ITやバイオなどの新しい企業も増えていると聞いています
。この度の訪問で今日のシンガポールへの理解を深めていきたいと思っております。この訪問が両国民の間の相互理解と友好関係の増進に少しでも資することになればうれしいことです。
マレーシアにはシンガポールと同じ時に訪問しました。マレーシア国王王妃両陛下の日本への国賓としてのご訪問に対する答訪のために、昭和天皇の名代として訪問しました。マレーシアでは国王は5年の任期で交代
することになっており、訪問時には既に次の国王に代わっておられましたが、答訪の意味を考え、前国王の出身州ペルリス州に前国王、王妃をお訪ねしました。その時のペルリス州の皇太子が今の国王で、昨年国賓とし
て日本へいらっしゃいました。この度は首都クアラルンプールで国王王妃両陛下に再びお目にかかります。また平成3年、1991年にマレーシアを訪問した時、インドネシアの山林火災で空港に着陸することができず、訪
問を中止した当時の国王の出身州ペラ州を、ほとんど当時の日程どおりに訪問します。当時の国王を始め、ペラ州の人々が私どもの訪問を待っている状況の下で訪問を中止したことは常に私の念頭を離れないところで
ありましたが、今回その訪問を果たし、今は国王の位を退いていらっしゃるアズラン・シャー殿下、妃殿下に再びペラ州でお目にかかれることをうれしく思っています。
二度目の訪問で非常に印象に残っていることはクアラルンプール近郊のゴム林がアブラヤシ林に変わったことです。
タイにはタイ国王王妃両陛下の日本への国賓としてのご訪問に対する答訪のために、42年前の昭和39年、1964年に昭和天皇の名代として、皇太子妃と共に訪問しました。国王王妃両陛下からは非常に手厚いおも
てなしを頂き、その様々な行事が懐かしく思い起こされます。チェンマイの離宮にも国王王妃両陛下が飛行機でお連れくださり、両陛下と三晩の思い出深い滞在をしました。その間には陛下のご運転で山道を走り、途中
から徒歩でモン族の部落を訪れたこともありました。国王王妃両陛下も私どもも皆30代の時のことでした。この訪問の時、日本にかつて留学した人々から贈られた雄の子象メナムは上野動物園に飼われ、訪れる人々を喜
ばせていましたが、惜しくも4年前に亡くなりました。私どもの子どもたちも乗せてもらったことがありました。
その後も昭和の時代には外国訪問の途次タイに立ち寄り、その都度国王王妃両陛下をお訪ねしていました。しかしベトナム戦争により、タイ国内も状況が厳しくなり、かつて訪問時に皇太子妃の接伴に当たった王族の
一人もゲリラのために命を失うということが起こってきました。夕食を頂いている時も緊迫した状況が感じられ、両陛下にはさぞご心痛、ご苦労のこととお察ししていました。国王陛下が外国訪問をおやめになったのもこ
の時期のことでした。
平成3年、1991年、即位後最初の外国訪問国としてタイを訪問した時、タイが平和になったことをつくづく感じました。国王陛下が、外国訪問の長い中断後、メコン川に架かった橋を渡ってラオスをご訪問になったのも
このころだったように記憶しています。
即位以来様々な苦労と努力を重ね、今のタイを築く上に大きく寄与なさった国王陛下が、この度即位60年をお迎えになることは誠にめでたく、心から祝意をお伝えしたいと思います。
タイの記念式典に参列する方々には、今までに何度かお会いした方々も多く、再びお会いするのを楽しみにしています。
この度初めて訪れるのはアユタヤです。アユタヤは歴史的に日本との関係も深く、この度の訪問でアユタヤへの理解を深めたいと思っています。
この度の訪問先はいずれも高温な地域であり、日程はかなり忙しい日程になっています。皇后も病後のことであり、心配していますが、滞りなくこの訪問を終えることができるよう、健康には十分気をつけて務めていき
たいと思っています。
皇后さま 振り返りますと、タイを初めて公式に訪問いたしましたのは、昭和39年(1964年)、私が30になったばかりの頃でございました。
この時の訪問は、その後27年を経た平成3年(1991年)の公式訪問と共に、私にとり今も決して忘れることのない、大切な思い出になっております。
滞在中には、チュラロンコン、タマサート、カセツァートの3大学を訪問し、また、かつての日本留学生との交流会に臨むなど、若々しいプログラムが組まれていました。国王王妃両陛下がご同道くださったチェンマイ
では、ご一緒に山岳地帯に住むモン族の部落を訪ね、その地方における王室プロジェクトの一端に触れるという、得難い経験もいたしました。バンコク、チェンマイ間の飛行中、国王陛下がそっとお席の陰から愛用のク
ラリネットを出して見せてくださり、私どものお願いを容れ、ベニー・グッドマンの「メモリーズ・オブ・ユー」を吹いてくださったことも、懐かしく思い出されます。
この2回の公式訪問の間にも、他国訪問の途次、何回かバンコクを経由地として選び、その都度、両陛下とのお交わりを深めてまいりました。常に国民の福祉を思われ、様々な形で国と国民を守っていらっしゃるお姿に
、深い敬愛の気持ちを抱いており、また、礼節を重んじるタイの国民性に対しても、いつも好ましく感じてまいりました。この度のプミポン国王のご在位60年の祝典には、ご招待を受けた者の一人として、タイの人々と共
に、心からの奉祝の意を込めて参列したいと思っております。
今回、シンガポールからタイ国に向かう途中の土曜日をマレーシアで過ごします。先に陛下もお触れになりましたように、15年前の公式訪問の時、上空の状態が悪く、予定されていたクアラカンサーへの飛行が不可能
になりました。やむを得なかったこととは申せ、歓迎を準備してくださっていた地方への日程取消しは心苦しく、この度、立ち寄り国としてマレーシアの再訪を許され、その時の日程をほぼ再現して果たせますことを、うれ
しく思っております。
昭和45年(1970年)の初めての訪問の折、マレーシア北端のペルリス州でご両親殿下と共に私どもを迎えてくださり、最後に空港で見送ってくださった皇太子殿下が、現在のマレーシア国王でいらっしゃり、この度はク
アラルンプールで私どもを迎えてくださいます。
平成3年の国賓としての訪問も、私には忘れ難く、この時心を込めてご接遇くださったアズラン・シャー国王陛下ご夫妻とこの度再びお会いできますことを、うれしく思っております。これまでマレーシアの各地で出会った
人々からは、穏やかで明るく、良い印象を受けてきました。この度のクアラカンサー訪問で、これまでに多くの優れた人材を輩出したマレー・カレッジを訪問するなど、マレーシアの思い出にさらに新しい頁を加えられるこ
とを楽しみにしております。
平成に入り二度目の訪問ということで、タイとマレーシアにつき最初にお答えいたしましたが、今回まず最初に訪問いたしますのはシンガポールであり、この久々の訪問も、楽しみに、心待ちにしております。
シンガポールを初めて公式に訪問いたしましたのは、マレーシアと同じく昭和45年(1970年)で、シンガポールは独立から4年目を迎えていました。新しい国造りの熱気にあふれ、非常に若々しい国との印象を特に強く
受けましたのは、建設の始まったばかりのジュロンの工業地帯を訪問し、大勢の港湾労働者のにぎやかな歓迎を受けた時でした。シンガポールの建国以来25年にわたり首相の任を負われ、現在も内閣顧問として国政を
見守られるリー・クァンユー元首相とは、この時初めてお会いいたしましたが、その後も、シンガポールで、また、東京で、度々にお会いする機会を持ちました。氏が常に世界を視野に置き、その時々の時代を分析しつつ
、シンガポールの進む道を真剣に模索されていることに感銘を覚え、また、その都度、世界の諸問題につき、学ぶことが多ございました。また一方で、私どもが南米の旅で見逃した南十字星を、是非シンガポールで見た
いと思っていることを知られると、夜分宿舎に星の専門家を送ってくださいましたり、また夫人は先述のジュロンで、陛下と私が植樹したソテツの成長した様を写真に撮られ、日本訪問の折に見せてくださいますなど、い
つも優しい、こまやかな心遣いをしてくださいました。
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