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ID 12253
登録日 2009年 6月24日
タイトル
人助けの椋の木祭る「霊木祭」 大正の洪水で助かった百歳女性が初めて参加
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新聞名
毎日新聞
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元URL.
http://mainichi.jp/select/wadai/horidashi/news/20090622mog00m040045000c.html
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元urltop:
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写真:
 
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人助けの椋の木祭る「霊木祭」 大正の洪水で助かった百歳女性が初めて参加 椋の木に感謝しながら感慨も新たな柴田アイさん  【大分】日田市若宮町の三隈川右岸にそびえる椋(むく)の木(市特別保存樹)で21日、梅雨期恒例の霊木祭があった。明治、大正の大洪水で計93人がこの木につかまって九死に一生を得た“人助けの木”として近隣の 尊崇を集めているが、大正の洪水の際によじ登った柴田アイさん(100歳)=大分市明野西=が初めて霊木祭に参加。「今あるのも、あなたのおかげです」と手を合わせた。
 ◇感謝を込めて「今あるのも、あなたのおかげです」  椋の木は樹齢約300年、高さ30メートル、幹回り5メートル。1889(明治22)年7月5日の洪水では、逃げ遅れた63人がこの木によじ登ったり、舟をつないで助かった。1921(大正10)年6月17日の洪水では、近くの 竹工場従業員ら28人と上流から漂流してきた2人が同様に助かった。一方で、戦後の食糧難時代は、無数の実が子どものおやつになった。
 霊木祭は、地元の椋の木保存会(若宮会、井上四郎会長)が1963年から開催。車いすの柴田さんは、一緒に暮らしている次女の山本美江子さん(68)ら家族が付き添った。
 柴田さんは大正の際の竹工場経営者の娘。当時12歳。「朝から雨が激しかった。水が出たため近くのほこらに避難し、さらに工場の人たちと椋の木によじ登った。多くの人や家屋が流されるのが見えた。『落ちたら命が ないぞ』と大人が叫び、必死に枝にしがみついた」と振り返る。「大病を2回患ったが、今があるのも椋の木のおかげです」と手を合わせ、霊木を見上げた。
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このページの公開日は1999年11月12日。最新更新日はです。

中川木材産業のビジネスPR その18 (公開2018.8.1 更新2019年11月11日 )