ID 12213
登録日 2009年 6月18日
タイトル
やまと人模様:宮大工・山本吉治さん
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新聞名
毎日新聞
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元URL.
http://mainichi.jp/area/nara/news/20090619ddlk29070529000c.html
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元urltop:
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写真:
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◇未知の全容、手探りで復元--山本吉治さん(55)=桜井市
◇志賀直哉旧居を創建時の姿に
「昔の大工からの置き手紙を読み進めるような、そんな面白さのある仕事でした」。昨秋から今春にかけ、文豪・志賀直哉(1883~1971)が自ら設計した奈良市高畑町の「志賀直哉旧居」(国登録有形文化財)を、約8
0年前の創建当初の姿に復元する工事を手がけた。数々の人の手に渡り、一時は解体が決まったが、地元住民らの保存運動で守られた大切な建築。経験豊かな宮大工として、隠されたヒントを見つけて一つずつ元に戻
していく緻密(ちみつ)な仕事を成し遂げた。
大工の家系に生まれたが、父の重行さん(故人)に弟子入りしたのは大学を卒業してから。学生時代は社会科の教師を目指し、教員免許も取得した。
「それでも、やっぱり木が好きでした。触っていると落ち着くんです」。だから、サイズが固定して使いやすい集成材が広がっても、自然のままで大きさもさまざまな木材を組み合わせて使う昔ながらのやり方にこだわって
いる。暦や、昔からの言い伝えも決して軽視しない。
父に学んだのは「木の癖を知る」こと。「木には一本一本に性格があります。どういうふうに反るか、どういうふうに動くか、よく見極めて一番適した場所に使うんです」。性格が現れるまで、倉庫で10年近く寝かすこともあ
る。
志賀直哉旧居は、直哉が手放した後、米軍に接収されたり、厚生省(当時)の宿泊施設に使われた過程で大幅に改造され、当初の姿はほとんど消えていた。そのため、呉谷充利・相愛大教授(建築学、文学)と、一級建
築士でもある妻規子さん(52)と協力しながら調査を進めた。直哉の家族から当時の写真を借りることはできたが、それだけでは不十分で、写っている場所が一体どこなのかよく分からない写真もあった。
最も印象に残ったのは子どもたちの部屋。出入り口がかなり改造されていて、当初の出入り口を探すために壁をはがしたところ、部屋と部屋の間に大きな窓が見つかった。「この工事を担当した大工から『いつか元に戻
してくれ』というメッセージを受け取ったように感じた」と、山本さんは振り返る。また、規子さんは「子ども部屋同士を窓で結ぶのは珍しい。独立性を保ちながらも、お互いの顔が見えるように配慮した直哉の思いを感じた
」と話す。
志賀直哉旧居の本質は、自然を生かした建築だ。「形がきれいなだけで、自然を生かしていない家が増えています。家は家族と同じで、何十年先まで一緒に生きていくもの。私は、木のありのままの姿を使った家を造り
続けたいと思っています」。工事を経て今、改めてそんな思いを強くしている。
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