ID 10301
登録日 2009年 1月28日
タイトル
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日本への船出は近い・丸木舟「縄文号」(
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新聞名
新聞名
JanJan
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元URL.
http://www.news.janjan.jp/world/0901/0901276278/1.php
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元urltop:
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写真:
写真が掲載されていました
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グレートジャーニーで知られる関野吉晴氏(探検家、人類学者、医師)から手紙が来た。現在、インドネシアのスラウェシ島で、丸木舟造りに汗を流しているようだ。私が独占していい内容ではないように思う
ので、JanJanの読者にも読んでいただきたいと思った。快諾いただいたので、ここにその全文を掲載する。丸木舟の写真も3枚つけていただいた。
インドネシア・スラウェシ島での丸木舟造り(関野吉晴氏撮影)
(GOOD LUCK!)
昨年5月、記録映画・『プージェー』の上映会が高知市であったとき、関野さんと約40年ぶりに再会しました。彼が、「太平洋が見たい」というので、高知市の桂浜に案内しました。遠い目をして、太平洋のかなたを見つめ
る関野さんの姿が印象的でした。
その後、私はサイン会へ向かう車の中で関野さんに質問しました。
「関野さんは、これまで多くの著名人と対談していますが、対談の相手としては、誰がおもしろかったですか?」
「自らの観察に基づいて、自らの理論を打ち立てている人です」
そのとき、私は、関野さんは理科系の人なんだな、だんだん『コンチキ号漂流記』のハイエルダールみたいになってきているな、と思いました。
昨年5月のこの2つの印象が、2009年1月、関野さんがインドネシアのスラウェシ島で「縄文号」を造っていることとつながっているように思うのです。道具のための砂鉄集めからスタートしたというから、ただただ頭が
下がります。関野さんは、1949年生まれですから、今年で60歳です。還暦を迎えてなお、衰えることのないこの探検家魂とは、いったい何なのでしょうか?
手紙の最後は、『「気持ちいいだろうな」という期待と「恐いだろうな」という思いが交錯します。』と結ばれています。 GOOD LUCK !
インドネシア・スラウェシ島での丸木舟造り(関野吉晴氏撮影)
(関野吉晴氏からの手紙)
寒中御見舞い申し上げます
元気で活躍のことと思います。昨年夏から、インドネシアの東部スラウェシ島の小さな村で丸木舟を造っています。日本列島にやって来た初期人類の足取りをたどる「新グレートジャーニー」の最後の黒潮カヌープロジ
ェクトのためです。他の北方ルートはシベリア、サハリン経由で最後には宗谷海峡をカヤックで渡って終わりました。南方ルートはチベットからインドネシアまでいったん南下してから中国大陸、朝鮮半島を経由し、最後に
朝鮮海峡をカヤックで渡って、すでに終わっています。スラウェシはスンダランドに含まれていませんが、ボルネオ、フィリピンのパラワン島を経由して日本列島に向かいます。
最近よく滞在している村の裏山から海を望みます。海岸部にはココナツ椰子が並び、その間に家々が並び、海岸には小さな漁船が停泊しています。沿岸部は海底がサンゴ礁のエメラルド・グリーン、少し離れるとコバル
ト・グリーンになります。天気のいい日の午後は太陽の光を受け、海面は黄金色に輝き、夕方になると雲の状態が良ければオレンジ色、紫色と空も海も変化していきます。
丸木舟は完成間近でマストもアウトリガー(左右のフロート)も付け終わりましたが、素材不足、雨期の到来の悪天候などで停滞していました。しかし、やっと完成しました。今年の3月に日本人クルー4人とインドネシア
人クルー6人とでトレーニングをして、4月から日本に向けてパドルと帆の力だけで日本に向かいます。
時間がある時によく丸木舟の舳先や船尾に座って海を眺めます。風がほおを撫で、波の音が聞こえてきます。この海は日本だけでなく、世界中に繋がっています。太古の人たちもコツコツと島伝い移動して、あるいは黒
潮を利用して日本列島に来たのだと思います。
丸木舟は樹齢数百年、周囲6.3m、高さ54mの大木から造りました。こんな大木はインドネシアでも希少です。周囲には見当たりません。有用な樹種は舟や家を造るため、輸出用に伐採されてしまいました。有用樹として
は質が良くないために今まで切られずに残っていました。老齢ゆえに穴があいていてキノコが生えていたり、腐って虫が棲んでいたり欠陥だらけでした。土地の船大工の協力のもと、単純な工具でコツコツと穿ち、削り、
舟を造ってきました。
「縄文」と名付けました。縄文カヌーではありませんが、縄文時代の生き方の基本的コンセプトである「自然からすべての素材をとってきて自分たちで造る」ということを実践したカヌーだからです。工具も自分たちで作
りました。砂鉄集め、炭焼きからたたら製鉄もしてノミ、チョウナ、鉈、斧などを作りました。帆はラヌという椰子の若葉を織って、ロープはイジュという椰子の繊維やココナツ椰子の殻から繊維をとって作りました。生まれ
る前から、大きな穴やひび割れを補修し、満身創痍です。それだけに手作り感があり、けっしてスマートではないが、世界でただ一艇の丸木舟を愛おしく思っています。
大量生産、大量消費の時代に逆行するように、道具作りから始めて、森や山、海から素材を調達して、造ってきました。時間、コスト、たった一つのものを造るための代償の大きさが分かりましたが、それらには代えがた
いとても大きな気付き、発見もありました。
インドネシア・スラウェシ島での丸木舟造り(関野吉晴氏撮影)
世界的不況、政治的混乱、理不尽な戦闘が続いている中で、呑気にカヌー造りをし、航海をするためにすべての力、時間を結集しています。とても贅沢なことをしていると思います。目に見えない大いなるものに恐れ
、敬意を払い、自然の一部となり一体となって暮し、人々が競争、争いではなく、お互いに協力して生きていた太古の人々に思いを馳せながら航海したいと思っています。
もう一艇、今は使われていない、マンダール人の伝統カヌー「バクール」も同じコンセプトで造っていて、そちらは11mあります。私たちと一緒に航海するインドネシア人は皆マンダール人の漁師、舟大工です。2艇で島
伝いに日本に向かう予定です。初夏にいい知らせができるといいと思っています。
先日インドネシアで大きな地震がありましたが、何も感じなかったのですが、その後に10年ぶりの大雨が降っていました。あちこちが川のようになり、近くの町では洪水で浸水したり、交通麻痺になり、死亡者も出ました
。同じ時期にフェリーが高波で転覆して、200人以上が行方不明になっています。スラウェシ島では本格的な雨期に入っていて、強い西風が吹くようになりました。この気候は2月末まで続くようです。
「早く丸木舟を海に浮かべたいな」と夢想する毎日です。不格好ですが、世界に一つしかない長さ7mの短い舟です。パタゴニアやベーリング海峡、宗谷海峡を渡ったカヤックは6.5mだったので、大きさを想像してみてく
ださい。世界に一つということは実績のないということで、海に出してみて初めて不具合が分かります。その調整もしなければなりません。
丸木舟の、キャプテンの座る場所によく座ってみます。この小さい舟で外洋を4000km航海して日本に向かう姿を思い浮かべます。「気持ちいいだろうな」という期待と「恐いだろうな」という思いが交錯します。
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