ID 8862
登録日 2008年 9月19日
タイトル
生と死の修羅場の中で 西ノ湖のミズナラ
.
新聞名
東京新聞
.
元URL.
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20080920/CK2008092002000096.html
.
元urltop:
.
写真:
写真が掲載されていました
.
西ノ湖(さいのこ)はその昔、中禅寺湖から分かれた小さな湖。ふるさとの雄峰・男体山の西に位置することから、この名が付いた。ここでは男体山が自然界の中心なのである。
西ノ湖のほとりに行くには歩いて二時間のハイクコースがあるが、戦場ケ原南端の赤沼自然情報センターから出る低公害バスに乗るのがいい。一般車両の乗り入れを禁止した特別保護地域をゆったりと走るバスは自
然林を縫って小田代原(おだしろがはら)湿原へ、さらに弓張(ゆみはり)峠を越えていく。林の木々、湿原植物、野鳥などいつも季節の色合いを見せてくれる。
森の雨は突然やってきた。「西ノ湖入口」バス停を降りて、カラマツ林を歩き出すと、音もなく、だが激しく降り出した。定規で計ったように整然とあるカラマツの列が雨脚を一層強く見せている感じだ。五十年前になろう
か、外山沢(とやまざわ)と呼ばれる国有林約百二十ヘクタールのミズナラ、ハルニレが根こそぎ伐採された。その後にカラマツが植えられたのだが、ここでの乱伐がきっかけとなって、この森が日光の自然保護運動の原
点となった。
柳沢川のつり橋を渡ると様相が一変する。乙に澄ました人工的なカラマツの林から、立ち入るのをはばかるような沈んだ森へ入っていく。光景も、香りも、流れる風も、現世のものではない、そう、例えば宮崎駿がアニメ
に描くあの世界。神や霊が飛び出してきそうな深い森に主人公とともに迷い込んだ錯覚。それでいて何か懐かしい…。
ミズナラを中心とした原生の森である。ほとんど人の手は入っていない。背後の低い山が屏風(びょうぶ)のように強い風をさえぎり、そこにミズナラ群生の別天地を作り出す。目通り四、五メートル、樹高三十メートルに
なんなんとするミズナラがあちこちにそびえる。何百年も前からここで生き続けていると思うと身震いする。だが、足元には樹齢百年を優に超える巨木が根元から倒れている。一メートル以上の枝が裂かれて隣の樹に
引っ掛かり、共倒れを待つ。倒れて何十年たつのか、濡(ぬ)れた大地に横たわる朽木に別の木々が宿り芽ぶく。木々の墓場。不気味だ。木の霊が漂流しているに違いない。
「これですよ」。日光地区の樹木を知り尽くしている樹木の先生、青山廣さんが立ち止まった。
超然とそびえるミズナラ。樹高三十メートル、目通しが六・二メートル、直径は二メートルに達する。おおらかに伸ばした枝は見事に均整がとれていて、周囲を圧倒する。「千年近くを生き続けてきたと言えますね。ここで
この樹に勝るものはないでしょう」と青山先生。
剛直な板状根が幾筋も盛り上がって大地に食い込み巨木をがっちりと支えている。周囲を睥睨(へいげい)しながら枝を周囲約三十メートルにまで幾重にも伸ばし、その下に他の樹木を寄せ付けない。まさにこの地の王
者。よく見ると、根元に一本の小さなカエデを従えている。遅い春に若葉を、早い秋にわずかな葉を染める従順な幼木しかそばにおけない、王の孤独か。
土に還(かえ)ろうとする倒木の上にシラカンバの若木五本が並んでいる。森では巨木が倒れ、そこに陽がこぼれだすとシラカンバはいち早く芽を吹く。そして木々が育ち、陽光をさえぎるとシラカンバは朽ちて役割を
終える。自然の輪廻(りんね)。
千年の時の流れの中で、何十万の新たな命が生まれたか。何万、何十万もが寿命を全うできず淘汰(とうた)されたか。生と死が互いに戦うかのようにある修羅場で、ミズナラは自らが気づかぬうちにいかに多くの仲間た
ちを葬りさったか、そして新たな命をどれほどはぐくんだことか、を思う。
「ミズナラはきっと男体山を毎日仰いでいるのではないでしょうか」、青山先生はつぶやく。この辺り一帯は約二万年前から始まった男体山の火山活動による堆積(たいせき)で生まれたところ。そこで無数の草木が一本、
一本生まれ、死んでいく。すべては男体山の大きな手のひらの上で…。空に向かって群を抜くミズナラは男体山を仰ぎ、何を祈るか。
..