ID 8110
登録日 2008年 7月 3日
タイトル
沙羅の木、モッコク…鹿王院
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新聞名
読売新聞
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元URL.
http://osaka.yomiuri.co.jp/flower/fl80702t.htm
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元urltop:
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写真:
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京都・嵯峨に静かにたたずむ臨済宗の古刹・鹿王院(ろくおういん)。室町幕府の全盛期を築いた足利義満が建立した寺の庭は深い緑の苔に覆われ、沙羅双樹(さらそうじゅ)のナツツバキの樹下では落花が
広がっていた。
連日の雨が上がった朝、観光客が行き交う渡月橋をわたって東に進むと、簡素な山門に山号の「覚雄山」の扁額が掲げられている。義満自らが書いた明快で整った字体だ。山門をくぐると石畳の参道が続き、左右の地
面を苔が包み、カエデやツバキなどの木々が連なる。左側は嵯峨野の原風景を思わせる竹やぶで、風でさらさらと揺れる音が心地よい。
中門を抜け前庭を見て庫裏から客殿の廊下を進むと、客殿南側にぱっと明るい庭が広がる。二層の舎利殿のまわりにはクロガネモチやモッコクなど古木が存在感を見せ、庭の背後の西側には嵐山の山並みが連なる。
客殿から瓦敷の歩廊に下り、本堂の前を回り込んで舎利殿の周囲を巡ると、東側に沙羅の木が伸びている。日本では釈迦が亡くなった時に咲いたという沙羅双樹に当てられているが、もともとはナツツバキ。庭の奥で
そう目立たないのだが高さ20mほどで、ツバキの仲間の木としては高い。豊かに繁った葉の間のところどころに白い花びらと黄色い花心の花びらが浮かび上がり、さわやかだ。少し南側に移ると、幹が根元から30cmく
らいのところで二つに分かれ双樹となっていることがわかる。幹も樹皮がはがれ、灰色や茶色のまだら模様になって彩り豊かだ。
木の周囲には、落ちた花が苔の上に広がり朝の日差しを受けている。朝咲いて夕方に散る一日花で、世のはかなさの象徴とされるが、一つ一つの花の命は短くても、梅雨の期間、次々と新しい花が開いていく。無常と
いうよりも、初夏から盛夏に進む夏の花の生命力を感じる。客殿に戻って沙羅を見上げると、木の頂き近くにも沙羅の花が散りばめられるように咲いていた。
舎利殿のすぐ北側のモッコクは高さはそれほどではないが、四方に枝葉を伸ばし、樹齢300年を超すという歳月の重みを感じさせる。木の大きさと似合わない直径1cmほどの白い小さな花が7月に咲くといい、淡い黄
色のつぼみがびっしりと垂れ下がっており開花も間近だろう。その西隣のクロガネモチ、鹿の子模様の樹皮のカゴノキをはじめ、「役者」となる木がそろっている。
吹田宏海住職に寺の歴史をうかがうと、鹿王院は義満が24歳の時に長寿を祈願して1380年に建て、夢窓国師の後継者の普明国師が開山。その後、応仁の乱の戦火にあったり、豊臣秀吉の時代の伏見大地震で建物が
倒壊したりで、現存の本堂や舎利殿は江戸時代の再建だ。庭も義満の死後に禅僧の任庵主が手がけたとされるが、当時の面影をとどめるのは石組みだけ。江戸時代には誰が作庭したのかはわからないそうだ。
この庭の形式は「平庭式枯山水苔庭」。池泉や築山も配さず平板と見る人もあるだろうが、嵐山の借景の取り入れ、樹木と建物の配置の巧みさには非凡なものがある。特に庭全体を眺めながら回廊を進んで行くと自然と
木の手前に導かれ、花や実、葉、幹と細かい表情を見られるようになっているのは、見事な演出だ。作庭者が意図したかはわからないが、参道も含めて一歩一歩情景の変化を味わえるようになっている。
◇
鎌倉幕府の三代将軍・源実朝が宋から招来したという仏牙舎利をまつった舎利殿に続き、本堂の中を見た。夢窓国師像など国の重要文化財は非公開だが、運慶一門作の十大弟子像や足利義満や普明国師像が置かれて
いる。室町時代の嵯峨一帯の絵地図「応命鈎命絵図」の江戸時代の写しも間近に見られて興味深い。
死後に別荘を寺にした金閣寺は別にして、義満自らが建立した寺は相国寺の他この鹿王院だけという。義満は、南北朝合一の実現、明との勘合貿易の開始など歴史的業績が評価される一方、明から「日本国王」とされ
たことなどから、「臣従外交」などの批判も受けてきた。吹田住職は「義満が禅などを内面的にどう考えていたかはうかがえにくいところです」としながらも「比叡山や南都の仏教勢力をコントロールした政治的力量、形で
は明の下に立っても経済や文化での実利を獲得した外交手腕は抜群だったのではないでしょうか」とみる。
鹿王院が江戸時代に再興できたのは、中興の虎岑和尚の実家の有力譜代大名酒井家の援助があったからだろうが、その師の賢渓和尚も徳川初期の「日朝通交」の際に活躍したという。今、寺に残る室町時代のものは山
門などに留まるが、江戸時代に作られた庭にも室町時代前期の開放感のような雰囲気が再現されているようにも感じられる。
庭といえば「十数年前に比べるとスギゴケの育ちが悪く、酸性雨の影響ではないかと考えています。近年は黄砂の飛来も心配です」と吹田住職。身近な環境問題も中国をはじめ東アジア全体での対応が欠かせない今日
。義満の書いた「鹿王院」の扁額がかかる客殿の廊下に一人座って、日本史上でも珍しい国際的な視点をもって行動した巨人のことを考えた。
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