1. HOME
  2. 木の情報発信基地Top
  3. 8.樹木
  4. 樹木・植樹・木のニュースアーカイブ TOP
ID 7210
登録日 2008年 4月17日
タイトル
根尾谷の淡墨桜 )幾たびも枯死の危機から甦生した樹齢千年を超える桜
.
新聞名
JanJan
.
元URL.
http://www.news.janjan.jp/area/0804/0804144922/1.php
.
元urltop:
.
写真:
  複数の写真が掲載されていました】
.
トップ 暮らし 地域 選挙 政治 世界 メディア 文化 ビジネス 写真 コラム 特集 編集便り NEWSなサイト トップ > 地域 > 根尾谷の淡墨桜 (下)幾たびも枯死の危機から甦生した樹齢千年を超える桜 根尾谷の淡墨桜 (下)幾たびも枯死の危機から甦生した樹齢千年を超える桜 佐藤弘弥2008/04/16 淡墨桜には様々な伝説があるが、大切なのは根接奉仕の前田翁や巨樹の保全を説いた宇野千代さんなどの努力であって、それこそが新しい「淡墨桜伝説」だ。 桜は戦争の象徴ではなく、平和の象徴として伝えて行くべきだと思う。
目 次  (P.1)  4. 淡墨桜伝説について思うこと   (P.2)  5. 宇野千代さんと淡墨桜  6. 結び 桜と戦争と日本人 --------------------------------------------------------------------------------  4. 淡墨桜伝説について思うこと  俳人黒田杏子(くろだももこ)さんは、この桜の前に来た時、背後にある淡墨観音堂の石段に腰を下ろして、この桜を見つめていると、夢現(ゆめうつつ)の中 で、白い蛇が目の前を通って観音堂の奥に消えるのが見えたという。また彼女は、この桜の樹皮に触れた瞬間、金縛りにあって動けなくなり、どうしようかと思っていると、雲間が裂けて夕日が射し込むと、体の自由が戻 ったと記している。(黒田杏子著「花を巡る 人に逢う」 『文藝春秋』特別号「桜 日本人 の心の花」平成15年3月刊) この淡墨桜にはさまざまな人々の祈りが込められているように感じた。(4月5日 佐藤弘弥撮影)  確かにこの樹木は、ただ単に美しく咲いているだけの存在を超えた何かがあるように思われる。私も、この桜を観賞した日は、いつになく強い疲労感を感じた。それは淡墨桜が、何か独特の磁場のようなものを持って いて、ただ見られるだけの存在ではなく、こちらにも何かしらのエネルギーを発しているのかもしれないと思った。  また白洲正子さんは、エッセイ集「古典の細道」の中の「花がたみ」の中で、このように表現した。  「想像を絶する大きさで『淡墨桜』の名の通り、白くこまかい花びらが、泡雪のようにむらがっている様は、何か神秘的な心地がした。」  さらに継体天皇お手植えの桜と、いつの間にか喧伝されるようになったことを「お手植えというのはあやしい……」、「むろん伝説にすぎない」と冷静に判断した上で、それでも「古代豪族の形見のように見え、長く私の 心に残った。」と結んでいる。  とかく人の心というものは、身近にある里山でも樹木でも、それが歴史的な人物に繋がるものであることに非常に敏感になる。伝説や伝承の種は、世の中に多くある。この淡墨桜が継体天皇と結び付く過程は、偽書との 疑いもぬぐい去れない1冊の書物から始まっている。それは「真清探當鐙」(ますみたんとうしょう)という書物である。  何でも尾張一宮の真清田神社に連なる旧家に伝わると言われているものだが、この書物を新しく書写したとされる人物が、大正8、9年頃(この年代表記は小椋一葉著「継体天皇とうすずみ桜」から採用した)、この著作 に書いてある継体天皇の事跡やお手植えの桜の存在の裏付け調査に訪れた時から、地元の人々が急速にこの書の説に惹きつけられていった。
千年の風格を感じさせる巨大な幹  はっきり言って、この「真清探當鐙」という書物は、第一発見者の家から発見され、原本から新しく書写されたものだとされるが、原本に当たるものがないことなど、偽書である疑いが拭いきれない代物だ。少し前に東北 の青森で、「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)という偽書騒動があったが、これとの類似を感じてしまう。  その書物から、「身の代と遺す桜は薄墨よ 千代に其名を栄盛止むる」という継体天皇の御製と言われる歌が、今一人歩きをしていて、引っ込みがつかない状況となっている。  この歌は、根尾谷に隠棲していた継体天皇が、この地を離れる時に、地元の民に遺したという話だ。しかしながら、歌について、「身の代」→「美濃城」、「薄墨」、「止むる」→「富むる」、断定の「よ」の使い方など、どのよ うに考えても、俗っぽい作りで、後の世の作りとしか思えない。まして継体天皇の御製とは到底考えられない。おそらく、この書物は、この真清田神社の利害に基づき、継体天皇を介在させて権威付けを画策した可能性が 高いのではあるまいか。  こうして考えてくると、この名木に関する継体天皇伝説は、わずかこの80数年の間に作られたものとなる。かつて、この桜は地元で土地の字から「今村の桜」と呼ばれていたそうだ。  私は、伝説や伝承というものを丸ごと否定する気はさらさらない。ただ歴史そのものを改竄してしまう如きことを、安易に伝説伝承として認めることには合点がいかないのである。むしろ、伝説や伝承が彩りとなって、人 の心をかき立てて、美しい詩歌が生まれた例を全国各地でいくつも知っている。  大切なのは、先ほど紹介した前田利行翁の根接奉仕のエピソードのように、多くの人々の努力によって、この巨樹が枯死から逃れたという事実ではあるまいか。その結果、淡墨桜は今でも毎年美しく咲いている。これこ そが新しい「淡墨桜伝説」であり、何よりも尊いのだと強く感じる。
..

このページの公開日は1999年11月12日。最新更新日はです。

中川木材産業のビジネスPRその12   当社設計・施工のカーポートデッキの事例 ホームページはコチラです。 画像クリックで拡大(公開2018.8.1 更新2019年9月11日 )