ID 4604
登録日 2007年 8月30日
タイトル
自然からの搾取「耕して天にいたる」 雲南の民族と森林(3)
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新聞名
JanJan
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元URL.
http://www.news.janjan.jp/culture/0708/0708180992/1.php
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元urltop:
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写真:
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さて、雲南の民族と森林という本来の趣旨に立ち返って、雲南の森林の概況を見ることにしよう。最近の雲南省全体の森林被覆率は約24.2%とされている(1990年統計)。1950年代以前は50~60%あ
ったと推定されており、その後急速に森林が消失し1981年には24%まで落ち込んだ。だが1990年以後は多少改善に向かっているようだ。
統計が欠けているので他の地域との比較は困難であるが、これほど急速に森林が消失した省は珍しいと思われる。それでも、中国全体の森林被覆率は政府公式発表で13.6%(1993年)、17.5%(FAO
2000年統計)であるので、それらに比べればまだ高い方といえる。また、周辺諸省と比較すると、長江中上流域として重要な四川省は19.2%、雲南省の東側にありともに雲貴高原をなす貴州省は12.6%で、やはり
雲南省の方が高い。
写真1.昆明-河口間の鉄道沿いの風景。生活適地とは考えにくいこうした場所にも人類は進出している。
車窓から見た自然からの搾取のすさまじさ
確かに雲南省は、実際に見た印象でも他の地域に比べて、緑が多い。特に南部の西双版納(シップソンパンナ)ダイ族自治州(図1、注1)は亜熱帯的な植物の繁茂もあって、緑豊かと言う印象が強い。また森に棲む野生
の動植物を出す料理屋も数多い。
筆者が中国を初めて訪れた時、北京から列車で昆明に向かい、そこからまたベトナム国境の河口まで列車で旅行したことがある(写真1および写真2)。
雲南省に入るまでは、その車窓から眺めた風景は、目の届く限り人の手が入っていないところがないといった状態であった。どんな丘陵地もすべて耕され、森というものがない。自然の過度の開発、自然からの搾取のす
さまじさを目の当たりにし、「耕して天にいたる」という言葉が必ずしも勤労を称える言葉ではないという事を発見した。
さらに雲南省でも、森林の消失には先ほどの数字に現れているように、すさまじいものがあった。昆明から河口までの列車の車窓からも、そうした過度な開発による影響を見て取ることができた。その鉄道(1910年全
線開通した「雲南インドシナ鉄道」、現「昆河鉄道」)は、イギリスに中国侵出で一歩先を越されたフランスが、中国内陸部へ直接アクセスするために植民地統治下のハノイ(河内)を起点に建設したものである。断崖絶壁を
縫うように走る列車からの眺めは大変素晴らしいが、そんな線路の下の急斜面にも、人々が転げ落ちんばかりになって畑を耕している姿がしばしば見られたのである(写真1)。
写真2.昆明-河口間の鉄道沿いの風景
他は推して知るべしであるが、いくつかの例を示すと、例えば西双版納州の丘陵地では、国営農場の広大なゴム園や茶園が広がっているのを見ることができる。また、前回紹介した陳凱歌の著作では、文革時代自ら「
下放」青年となり、西双版納の国営農場で広大な熱帯雨林をゴム園に変えるために次々と巨木を切り倒した、過酷な労働の経験が語られている。
ちなみに雲南省の南に位置するラオスの森林被覆率は54.4%、ミャンマーは52.3%で(FAO 2000年統計)、雲南省の1950年代以前の水準に近い。
図1.雲南省の地理
9ヶ村・6民族の村々を訪ねて
さて本報告の元になった我々の調査地について、いま少し詳しく述べよう。それらは雲南省の中でもさらにその西南部に位置している。
まず、すでにしばしば言及した西双版納タイ族自治州にある、モン(偏が孟でつくりが力)海県である。西双版納州は昆明から直線距離で南へ400kmあまり、省最南部に位置しラオス・ミャンマーと国境を接している。メ
コン川(中国名瀾滄江)は州都景洪を通り、あと40kmほどでラオスへ入る。モン海県は景洪からさらに西へ40~50kmに位置している。
第2の地域は昆明から西南西に400km弱の臨滄地区(図1)の臨滄(リンツァン)県と双江(スァンジャン)県である。「臨滄」の名称は「瀾滄江に臨む」ことから由来し、やはりメコン川の集水域に属している。
そして3つ目は、昆明から西へ500km、ミャンマーと国境を接する保山地区(図1)の騰冲(テンテョン)県である。ここは古来、中国の王朝とインドを結んでいた重要な交易路上に位置している。この地域は、メコン水
系と違い、その西側のサルウィン河水系を飛び越えさらに西のエーヤワディー(イラワジ)水系に属している。
我々はこれらの地域で9ヶ村、民族的には6民族の村々を訪ねた。そこでは彼らの現在の状況を規定する上で、外的要因(その当時始まったばかりの「退耕還林」政策も含め)が確かに大きな影響力を持っていることを
実感した。人類学者がことさら『秘境』を追い求めているわけではないが、実際に雲南調査をして彼らの文化的特徴が希薄になりつつあることに、多少失望の念を抱いたことは否めない。しかし、それにもかかわらず彼ら
の生活は依然として我々のような産業化が進んだ社会に生きる人間からすれば、はるかに濃密な自然との関係の中で営まれていた。
そして数々の困難の中で暮らしているにもかかわらず、彼らが依然として自然環境を大切にする文化や思想、そして生活様式を維持していることに、感心させられた。彼らの状況を見るとき、当然それに影響を与えて
いる外的要因を無視することはできないし、それらが時として人権侵害まで及ぶことは軽視できない事実である。
しかし本報告では、むしろ彼らの生活を根底で支えている内的規定要因、すなわち彼らの生活空間を構成する自然環境と、彼らがそれとの間に築いている諸関係の紹介に重点を置くことにする。 (つづく)
注1:ダイ(ニンベンに泰)族は一般にタイ族と呼ばれている民族と同じであるが、中国国内に住むタイ系諸族をダイ族と呼ぶ中国語の慣習に従うことにする。中国語でタイ(泰)はタイ国を指す..