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ID 4539
登録日 2007年 8月24日
タイトル
時代に翻弄される少数民族 雲南の民族と森林
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新聞名
JanJan
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元URL.
http://www.news.janjan.jp/culture/0708/0708020234/1.php
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元urltop:
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写真:
 
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内1位葉タバコ生産 水質汚染を招く  そうしたいわゆる『秘境』のイメージの強い雲南であるが、すでに1970年代の末から経済成長は著しく、それにともなって自然環境も急速に悪化してしまった。1978年から95年までの統計によれば、農工業部門の実 質成長率は年平均9.8%という高さであった。その中でも最も活況を呈しているのは、タバコ産業である(注1)。雲南省はすでに50年以上前からタバコ産地であったが、上述期間にタバコ葉の生産量は年平均10%以 上で伸び、約5倍になった。またタバコ加工産業の生産量も10倍近くに増加し、工業総生産高の30%を占めるに至った。雲南省は中国国内のタバコ産業の中心地になったのである。
 それに伴って化学肥料・農薬の使用量は増加し、排水が流れ込んだ昆明郊外の湖、ディエン池(面積298km2で琵琶湖の半分弱、図1)では水質が急激に悪化した(注2)。80年代半ばまで澄んでいた水がアオコで緑色 のペンキを流したようになり、悪臭を発生させていた。近年ようやく対策が実り徐々に水質は改善されてきているようだが、数年前みた限りではまだかなり緑色をしていた。また増加した車の排気ガスやいまだに石炭を燃 料にしている工場が大気汚染を引き起こしており、95年には省内88%の都市で酸性雨が記録されている。
景洪の夕暮れ ミャンマーから援蒋ルートで流入していた高級車  また1995年2月には、ラオス北部の中国国境近くで不思議な光景を見たことを思い出す。改革開放政策が87年から推進されてきていたが、当時はまだラオスでは国内での外国人の活動はかなり制限されていた。旅 行者は国内のいくつかの立ち入り許可区域(首都と観光地に限られていた)へ空路で移動しなければならず、陸路での移動は原則禁止されていた。それでも何とか陸路の移動が可能なビザを取り、ラオス北部の町ルアン ナムタから南下し、途中メコン川を船でさかのぼりながら、北部タイへ抜けるルートで旅行したことがある。
 ルアンナムタからピックアップトラックを改造した乗合自動車で数時間、中国雲南省の国境まで約10kmのごく小さな町(幅2~3mのでこぼこ道の分岐点辺りに竹の掘っ立て小屋の商店が5、6軒あるだけ)に到着した。そ こで乗り継ぎに5、6時間待たされたが、その時、役場の前の広場に、黒塗りの高級乗用車(ベンツ、トヨタセンチュリーなど)がずらっと数十台並んでいるのを見かけたのである。
 近づいてみると、フロントガラスに張ってある荷送り状に、出港地がドバイと記されてあった。もちろん目指すは雲南である。それを取材した知り合いの記者の話では、当時石油価格の低迷で中東産油国で売れ残った 車が、転売先を求めてそこまでたどり着いたらしい。インド洋を渡りベンガル湾で水揚げされ、かつての援蒋ルート(注3)をたどってミャンマー北部の山岳地帯を抜け、雲南への越境に備えそこに一時的にプールされて いたのである。それは、雲南がその頃すでに相当の購買力を持つに至っていることをうかがわせるものであった。
図1.雲南省の地理 観光化が自然と文化を破壊 外因に翻弄される少数民族  一方における豊かな自然と民族の多様性、他方の急速な経済発展と環境破壊。この2つは広大な雲南の地で相互不干渉的に共存しているかといえば、次第にそうはいかなくなってきている。特に近年では、豊かな自 然や民族性を、経済発展の一翼を担う観光業に直結させる動きが強まっている。観光旅行者向けパンフレットや地図の裏には、『秘境 雲南』と銘打って「生態旅游」や「民俗風情旅游」へと客を誘う文字が躍っている。自 然と民俗を観光資源に、新たな観光開発戦略が広く展開されてきているのである。
 こうした状況を見ると、少数民族の文化や社会をマルクス主義的歴史観の下に遅れたものと否定し弾圧さえした頃からは、隔世の感がある。しかし本当に民族性は再評価され、存在意義を認められているのであろうか 。
 かつては社会主義革命のために否定され、今では国を挙げての経済発展のために奉仕させられている。両者の違いはさほど大きくはないのではなかろうか。
 『黄色い大地』や『北京ヴァイオリン』の監督で有名な陳凱歌(チェン・カイコー)の著書、『私の紅衛兵時代』(注4)の復刻版前書きで彼が書いている「『文化大革命』は、まだ終わっていない」という言葉が、真に迫ってく る。
 筆者も2度、そうした国家的観光開発に一役買わされた経験がある。一つは世界文化遺産に指定(1997年)されている雲南省北部の麗江古城(図1)で行なわれた納西(ナシ)族の文化(祭司を意味する納西語「東巴(ト ンパ)」から「東巴文化」と言われる)に関する国際シンポジウム、もう一つは昆明の南西百数十kmの新平県で開催された、元江(紅河)沿いに住む花腰ダイ族に関する国際シンポジウムに参加したことである。
 それらのシンポジウム自体が観光開発を直接目的にしているわけではもちろんない。また両民族とも実に興味深い文化を持っており、シンポジウム自体は意義のあることだった。
左上:玉龍雪山方向を望む。玉龍雪山は雲に隠れて見えない、右上:高黎貢山自然保護区(騰中から保山の途中)の手前のはげ山、左下:ディエン池のほとりの西山公園から昆明中心部を望む、右下:都市化が進む昆明  しかしそれらは間接的に両民族の存在を世界に広める結果をもたらしたとともに、地元には直接的に開発の効果をもたらした。それは国家予算を投入しての道路やホテルといった観光インフラや、観光客の受け入れ に関するソフト面での整備である。
 麗江(図1)の近くには玉龍雪山(図1)という5,600m近い高山がそびえて観光スポットになっている。ロープウェイで頂上に簡単に立てるのだ。そこへ続く広い道路が高原の針葉樹林を切り開いて作られている。広い ところは片側6車線もあり、新興の街づくりが進んでいた。
 新平県の場合はもっと直接的である。そのシンポジウムが開催されるまでそこには外国人が宿泊可能なホテルがなかった。そこでシンポジウムを期に、コンベンションホールを備えたホテルが2棟新設されたのである 。昆明から新平県へ直接通じる高速道路もすぐ近くまで出来上がっていた。
 我々がバスを連ねて近隣の村を訪ねた際には、民族色豊かな歓迎セレモニーが華やかに繰り広げられた。村は生きた博物館よろしく、民族の特徴ある習慣や伝統工芸の展示・実演コーナーが設けられていた。伝統的な 祭りである「花街節」にあたっており、観光客誘致の目玉である一大年中行事への、観光団受け入れの予行演習も兼ねているようだった。 
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このページの公開日は1999年11月12日。最新更新日はです。

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