ID 4443
登録日 2007年 8月 8日
タイトル
音景色をたずねて(6)長崎・山王神社の被爆クスノキ
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新聞名
JanJan
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元URL.
http://www.news.janjan.jp/living/0708/0708080511/1.php
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元urltop:
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写真:
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セミ時雨の中、古い街道の石畳の坂道を上り詰めると、潮騒のような音に包まれた。見上げると、枝いっぱいに茂る葉を大きく風になびかせたクスノキの巨木が2本聳えたっていた。深いゆったりとしたざわめ
きが頭上から降り注ぐ。小鳥のさえずりや子どもたちの歓声、坂下の路面電車、寺院や教会の鐘、港の汽笛……1日たたずめば、様々な音が重なる。
長崎・山王神社
の夫婦大楠は、樹齢400年とも600年ともいわれる。1820年頃に編纂された『長崎名勝図絵』には山王神社と境内に茂る巨木が描かれている。旧浦上街道沿いに佇む2本のクスノキは、人々の営みをずっと見つめてき
た。
クスノキが恐らくまだ若樹だった頃、この道を京都から護送されてきた囚人の一行が通った。慶長2(1957)年2月5日、豊臣秀吉の命で京都から連行され、長崎・西坂で磔にされる直前のキリシタン「26聖人」たちが、
この付近にあった療養所で最後の休憩をしたとの記録が残る。現在、神社のある高台付近は、当時、イエズス会の営む病院があったとされ、2本のクスノキは、入り口付近にシンメトリックに配置された欧風なデザインか
ら考えて、あるいはこの病院のために植えられたものかもしれないという。
キリシタン禁制の鎖国時代には、この巨木に“隠れキリシタン”を縛って熊をけしかけたという凄惨な言い伝えも地元に残る。島原の乱後、山王権現社が建立され、クスノキは御神木となった。明治維新後は縣社浦上皇
太神宮として国家護持の象徴となり、巨木のたもとから多くの出征兵士が旅立っていったことだろう..