ID 3755
登録日 2007年 5月10日
タイトル
盛大な大正期の花見 小樽・手宮公園に音楽隊 桜、年間850本植樹
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新聞名
北海道新聞
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元URL.
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/25133_all.html
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元urltop:
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写真:
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小樽稲荷(いなり)神社(末広町)の木村文彦宮司が、同神社に保存されている古い議事録と日誌の中に、大正初期の手宮公園での花見の様子や、手宮地区の経済人たちが同公園に年間八百五十本もの桜
を植樹していたことを伝える記述を見つけた。観桜会(花見)は百八十一人が参加して盛大に行われ、音楽隊や数十人の芸者が花を添えるなか、「札幌ビール」や「桜ビール」を飲んで楽しんだ-と記されている。
議事録と日誌は、一八九九年(明治三十二年)に同地区の経済人で設立された手宮同志会が自分たちの活動を記録したもので、桜の話題は一九一五年(大正四年)の記録に残されていた。手宮の経済人は当時、鉄道輸
送と港湾を背景に力を付けており、その資力で明治期から植樹を盛んに実施。同公園が小樽の花見の名所となる礎を築いた。
一五年に植えられた八百五十本はヤマザクラや吉野桜など。また、この年の観桜会は五月二十三日、花火を合図に始まったと記されている。
一○年(明治四十三年)に同公園そばに移転した同神社には、同会の資料ばかりでなく、新社殿の完成予想図も水彩の色付きで残されている。予想図にも境内の森に約二十本の桜が描かれており、桜と鎮守の森の結び
つきを示している。
木村宮司は「明治末期の二度の手宮大火で資料が焼失する中にあって、桜の記録が大切に残されてきた。当時の『観桜会』の豪勢さもうかがえる」と歴史をひもといている..