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- ID:
- 40583
- 年:
- 2018
- 月日:
- 0129
- 見出し:
- イチョウの傷痕 木が刻む暮らしの記憶
- 新聞名:
- 上毛新聞ニュース
- 元URL:
- https://www.jomo-news.co.jp/feature/shiten/30199
- 写真:
- なし
- 記事
- 初詣は前橋市の諏訪若御子神社に出かけた。戦災を生きのびたイチョウの木に会いたかった
1945年8月5日の前橋空襲で燃えてなお生きる戦災樹木と伝わる。火災によるものか、幹の片側は樹皮がはがれてほとんどなく、大きな傷になっている。木は炎に包まれた過去を無言で伝えているようだ
今、街中には空襲のこん跡はなく、かつての惨劇を想像するのは難しい。当時の状況を知る人々の話とともに、木の傷痕の写真が残せれば、前橋空襲を後世に伝える貴重な資料となるのではないか
群馬県内には他にも戦災樹木があるだろう。ご存じの方がいたら教えていただきたい。傷痕がなくわかりづらい木も多いだろうが、これから一樹一樹、訪ねてみたい
大きな試練を乗り越えた木は人間に生きる力をくれるように思う。原爆を生きのびた木々-被爆樹を取材して、今年で11年目。昨年はノーベル平和賞を非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」が受賞するといううれしいニュースがあった
受賞を記念して、広島原爆から再び芽生えたイチョウ、クロガネモチ、エノキ、ナツメの種がノルウェーのオスロ市大植物園に寄贈された
春がくれば種は芽を出すだろうが、大きな木に成長するには長い歳月がかかる。この地球上から核兵器がなくなるまでとどちらが早いか。平和の種に託した思いを世界中の人々が継続してほしい
一歩一歩、成長していく木の姿は再生への希望になる
広島市内で種まきから始め、鎮守の森を取り戻した三篠(みさき)神社の宮司、野上光章さんの話を紹介したい
被爆前、境内には樹齢300年を超す大樹が多く立ち、フクロウやムクドリもすむ、緑豊かな森が広がっていた
45年8月6日、原爆投下。境内は炎に包まれ、森はことごとく燃え、辺り一面焼け野原になった。そのわずか2カ月後の10月。当時11歳の野上少年と父親は畑にクスノキの種をまいた。苗木として境内に植えるためだ。「森を育てないと何も始まらない」と思ったからだと言う
翌年の春、芽を出したクスノキが一日一日と大きくなるのを待って9年目。苗木7本を境内に植えた。その間にもツバキやマツ、被爆クスノキなどを譲り受け、境内に植え、森が育つのを待った
「鎮守の森らしい風景を取り戻したのは昭和40年代の頃でしょうか」と野上さんはふり返る。現在、クスノキは幹回り3メートルを超え、大樹の貫禄で鎮守の森を見守っている
長い歳月を生きる木は地域の人と子々孫々一緒に生き、それぞれの家族の思い出を刻んでいる。群馬県内の木を巡りながら、故郷の歴史をたどってみてはいかがだろうか
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