v10.0
- ID:
- 「木の良さ発信事業」事業では、同市新山小でもカラマツ材の腰壁板を設置中。駒ケ根市や宮田村では学校の音楽室や図工室の椅子に利用する予定だ。
31140
- 年度:
- 2014
- 月日:
- 0820
- 見出し:
- 「安藤ミカン」ジュースに 熊楠の遺志継ぎ今冬から
- 新聞名:
- 紀伊民報
- 元URL:
- http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=278976
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 世界的な博物学者、南方熊楠(1867~1941)が好んだ「安藤ミカン」の生搾りジュースを、和歌山県田辺市上秋津の農業法人「きてら」が今年の冬から製造、販売する。熊楠は安藤ミカンを田辺の特産にしようと考えていた。その遺志を継ぐ形で地元農家らが苗木を増やし、ようやく一定量の実ができるよ
うになり、ジュース作りにこぎ着けた。
安藤ミカンは江戸時代、田辺藩士、安藤治兵衛の邸内に自生したと伝えられることからその名が付いた。熊楠が晩年を過ごした同市中屋敷町の自宅の庭にも植わっていた。当時の木は枯れてしまったが、南方熊楠顕彰館隣の自宅跡には3本の木が植えられている。
熊楠は米国のグレープフルーツに風味など少しも劣らないと気に入り、果汁を搾って飲んだり、知人に送ったりしていた。増産して外国人客相手のホテルなどに出荷すれば田辺地方の農家を潤し、外貨の獲得にもつながると考え、普及を図った。1936年には、旧上秋津村の中山雲表村長に苗木50本を送り
、村長が村内の人らに配った。
中山村長は安藤ミカンについて「これをミナカタオレンジと名付け、世界的大学者南方先生の名とともに海外にまで名声を上げて、村の富も増やし、先生の期待に応えよう」とメモしていた。しかし、戦火が激しくなり、普及活動は途絶えた。
「きてら」の役員を務める同市上秋津のミカン農家、原和男さん(73)は15年ほど前、熊楠の自宅にあった木の孫木を譲り受けた。それを苗木業者に増やしてもらい、地域の農家に配布してきた。現在、地域では150本ぐらいの木が植わっているのではないかという。
原さんは「これまでに地元の直売所で少し販売しているが、人気でよく売れる。味は淡泊で、甘くも酸っぱくもない。今の人は酸っぱいだけの味を嫌うので合うかもしれない」という。
昨年12月には、きてらのジュース工場で試作品を作った。ジュース工場長、坂本登志生さん(51)は「さっぱりした味わいでおいしい。ジュースに合う」と、味に好感触を得ている。
今後は毎年、ジュースを生産していく予定。耕作放棄地を再生し、安藤ミカンの栽培を広げていきたい考えもあるという。
..