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- ID:
- 32659
- 年度:
- 2015
- 月日:
- 0311
- 見出し:
- 台湾霧社事件発生の地で日台友好の桜植樹式典
- 新聞名:
- サーチナニュース
- 元URL:
- http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2015&d=0311&f=business_0311_043.shtml
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 日本経営管理教育協会が見る中国 第349回--下崎寛(日本経営管理教育協会会長)
2015年(平成27年)2月に中央大学日台スポーツ・文化交流事業として、台湾台中市の東部山中の霧社地区を訪問し、桜の木500本を植樹してきた。
台中霧社地区は、戦前の日本統治時代に台湾原住民による抗日大暴動事件が起こった場所である。しかし、現代の日本人は、霧社事件についてほどんどの人は知らないであろうし、私自身も全然知らなかった。
台湾霧社事件とは、以下のようなものである。
戦前日本統治下の1930年(昭和5年)10月27日、台中の山岳原住民セデック族を中心とした300人が霧社各地の駐在所を襲った後に、霧社公学校で開催されていた日本人の運動会を襲撃し、日本人の子供や婦人など約140人を殺害した。暴動の直接の原因といわれているのが、1930年(昭和5年)10
月7日に起こった日本人巡査と原住民の若者の間で起こった殴打事件である。
その日、日本人の巡査は同僚を伴って移動中、村で行われていた結婚式の酒宴の場を通りかかった。巡査を宴に招き入れようとセデック族の長の息子が巡査の手を取ったところ、巡査は宴会の不潔を嫌うあまりステッキで長男を叩いた。侮辱を受けたと感じたセデック族の息子はその巡査を殴打した。こ
の殴打事件について日本の警察からの報復をおそれたセデック族の人々は暴動を画策したと言われている。暴動は1カ月で鎮圧されたが、700人ほどの原住民が死亡もしくは自殺、500人ほどが投降した。 一方、鎮圧側の戦死者は日本軍兵士22人、警察官6人であった。
その事件から80数年経っているが、今まで日台での表立った和解等の活動がなかった。
たまたま中央大学のOB会が毎年台湾の中央大学OBと交流を図ってきたが、台湾の中央大学のOBから提案があり、過去の恩讐の精算と今後の日台交流のために、その事件現場で和平の行事が行われた。日本は伝統芸や若手歌手の歌、台湾からは小中学校生の踊りや合唱で互いの文化を披露
し合い、最後に日台友好の礎にしようと日本の桜の木500本を植樹した。台中の人たちと日本人において、過去のことは過去のこととして何らわだかまりを持つことなく、将来を見据えて仲良くしようと固いきずなを結んだわけである。
確かに過去の出来事への謝罪は必要であるが、その謝罪にこだわって関係を悪化させるのではなく、現代の世代は将来の関係発展に尽力すべきである。
台湾とは過去の恩讐を超えて和解できるが、中国、韓国とは、なかなか恩讐を超えることができない。政治的自己都合の歴史観をもって絶えず過去の謝罪を求める姿勢がなくならない限り和解はできないのであろうか。
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