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- ID:
- 32412
- 年度:
- 2015
- 月日:
- 0206
- 見出し:
- 悲しみを繰り返さないために-桜で残す、津波の記憶-
- 新聞名:
- 現代ビジネス
- 元URL:
- http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41963
- 写真・動画など:
- なし
- 記事内容
- 「あの震災直後こそ、写真を撮っておいてほしかった」
2011年3月、累々と積み重なる瓦礫を前に、どうしてもシャッターが切れなかった。けれども1年が経ち、2年が経ち、4年近くの歳月が流れる中で、そんな声を何度となく耳にした。
「あの時カメラを持っている人間を見たら、"何撮ってんだ"って暴言吐いてたかもしれない。殴りかかってたかもしれない。でも、今だから思うんだ、撮っておいてほしかったなって。あの時、一体どこまで波が来て、どうやって人が生き延びたのか、この街の中だけでもどんどん曖昧になっているんだ」
市街地を覆い尽くしていた瓦礫は撤去され、今、陸前高田市内では、削った山の土砂を用いた「かさ上げ工事」が昼夜問わず続いている。刻一刻と、街の風景は変わり続ける。その急激な変化の中で、どのように復興を遂げるかということと並び、何をどのように「残す」のかといった新たな課題にも、人々は直
面していた。
石碑ではない、「別な何か」を残したい
小高い丘の上から市街地を見守るような佇まいの寺院、浄土寺。あの日の波はこの境内にまで達し、墓石や建物の所々には、いまだその爪痕が残る。市街地に面した斜面には、桜の木が4本、線を描くように植えられている。実はその木の一本一本に、特別な想いが込められていた。
市街地を望む浄土寺の桜たち。時折様子を見にやってくる近隣住民の姿もある。
この桜が植えられたのは2011年11月のこと。それは、震災後立ち上げられたNPO法人「桜ライン311」の植樹活動の始まりとなる4本だった。桜ライン311は津波の到達点に沿って10メートル間隔で桜を植えていき、その記憶を後世に伝えていくことを目的として、地元の有志を中心に結成された。市内の到達地
点の総距離数から計算すると、その最終的な植樹本数は約17,300本にも及ぶ。
震災前、2万4,000人ほどが暮らしていたこの街で、死者・行方不明者の数は1,700人を超えた。大切な人を失った悲しみはいまだ癒えることなく残っている。桜によってこの震災の記憶を残すと共に、亡くなった人々への鎮魂の思いを一本一本に託していくのだ。
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