v10.0
- ID:
- 24215
- 年:
- 2012
- 月日:
- 0508
- 見出し:
- 思い出の桜
- 新聞名:
- 日本経済新聞
- 元URL:
- http://www.nikkei.com/news/special/article/g=96958A88889DE6E3E3E6EBE2EAE2E2EAE2E7E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2;q=9694E2EBE2E7E0E2E3E3E1E5E1E2;p=9694E2EBE2E7E0E2E3E3E1E5E0E5;o=9694E2EBE2E7E0E2E3E3E1E5E0E4?n_cid=DSTPCS006
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 1本の桜が見ごろを迎えた。JR大船渡線の鹿折唐桑駅(宮城県気仙沼市)近くに、りんと立つオオシマザクラ。壊滅的な被害を受けた地で生きながらえた木は、打ち上げられたままの大型漁船や復興に向け移りゆく町の様子をじっと見つめているかのようだ。花が咲くまでの四季を追い、ある一家の思いをつ
づった。
枝いっぱいに咲かせたオオシマザクラ。さわやかな風のにおいのする中、花から花へとハチが舞う。30年以上前から立つこの桜の持ち主は浜口正弘さん(59)、富佐子さん(59)夫妻。もともと鉄道の引き込み線があった場所が広場に変わり、売りに出されたこの土地を「いずれ新しい家を建てよう」と9年前に購入
したのだった(7日)
浜口さんの自宅は桜の木にほど近いところにあったが、津波ですっかり流されてしまった。桜が好きだった富佐子さんの父、菅原定治郎さんはここに八重桜など10本近い木を植えていた。しかし残ったのは以前からあったオオシマザクラの1本だけ(2011年6月29日撮影)
定治郎さんはこの町で木材チップ工場やアパートを経営していた。活動的で春には「桜を見る会」を開いたり、無人駅・鹿折唐桑駅の「駅を愛する会」の会長を務めたりと地域の顔も広かった。震災前、歩くときはつえを使いつつも、時々オートバイに乗って元気に町を走っていた定治郎さん。震災以降は体調を
崩し昨年秋、85歳で他界した(11年11月5日撮影)
正弘さんによると復興計画でここもかさ上げの対象地区に入るという。定治郎さんが桜の木を植え愛した地。子供3人が小さかった頃、家族で花見をした浜口さん夫妻の思い出の場所。なんとかして「桜は残したい」と正弘さん(11年12月25日撮影)
「あの日」から2回目の春。潮をかぶった桜は今年もきれいな花を咲かせた。「桜って強いんだねぇ。天国の定治郎さんもきっと喜んでる」と富佐子さん。現在は夫婦で仮設住宅暮らし。思い出の木のそばにすぐに戻ることはできないが、どこかに家を建てたいと望んでいる(7日撮影)=写真 善家浩二、浅原敬一
..