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- ID:
- 49839
- 年度
- 2011
- 月日:
- 0225
- 見出し:
- 珠玉の1本 目指し10年
- 新聞・サイト名:
- 朝日新聞
- 元URL:
- http://mytown.asahi.com/fukuoka/news.php?k_id=41000001102240002
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 飯塚のギター工房・木村さん
東京での挫折バネ 丁寧な仕事 出来に自負
飯塚市口原の「木村ギター工房」が今月、開業から10年を迎えた。工房を営む木村信也さん(39)は、筑豊地区では数少ないギター職人の1人。「珠玉の1本」を目指し、きょうも木材と向き合っている。
(中野浩至)
旧庄内町出身。中学時代、文化祭で演奏する先輩のバンドにあこがれ、2年生でアコースティックギターを手にした。高校1年生の時、小遣いを貯金してエレキギターを買った。バンドも組まず、自宅で弾く程度だったが、2年生の冬、ターニングポイントが訪れた。
卒業後の進路について思案していた頃。毎週欠かさず聴いていたラジオ番組のDJが、見習いを募集している東京のギター製作業者を紹介した。「こんな仕事があるのか」。すぐに電話し、翌年の夏に面接を受けた。「ギターもうまくないし、製作の経験もないけれど、卒業したらこの仕事で食べていきたい」
18歳で上京。日付が変わるまでギターの塗装に明け暮れ、ほぼ休みはなかった。後から入ってきた同僚は、2カ月も持たずに辞めていく。
ギターを見るのも嫌になってきたある時期、奇跡的に夜の9時ごろに仕事が終わった。帰ろうとしたら、先輩が「じゃあ、これお願い」。この先ずっとこんな生活が続くのかと思うと、絶望感が押し寄せた。8カ月で逃げるように辞めた。
フリーターを経て約1年後、都内の専門学校に2年間通い直した。1994年、山口県宇部市のギターメーカーに就職。そこから独立した先輩らの姿を見て、「独立を意識している身として、自分の看板を背負っている人たちに引け目を感じてしまった」。
故郷の飯塚へ帰ったのは、就職から6年後。2001年2月に工房を開いた。ギターやベース、ウクレレの製作や修理がなりわい。プレーヤーと直接会って、形や音色の希望を聞く。それから楽器をデザインし、使用する木材を決める。
製作期間は短くて半年。注文を受けて5年以上経つが、完成していないものもある。外国で木材を探したり、その木材を福岡の土地になじませるため、1年間にわたって倉庫で保管して「シーズニング」を施したりするため、どうしても時間がかかる。
折に触れて思い出すのは、8カ月で辞めた東京の製作業者だ。苦しい思い出が多い一方、「シビアに仕事をする」というプロ根性がたたき込まれた。それが今の基礎になり、丁寧な仕事につながっていると思う。
木村さんが作るギターは、製作費が数十万円かかることがざらにある。だが、「手間を考えれば高いとは思わない」と胸を張る。プレーヤーの満足も得られていると自負している。
「プレーヤーに気持ちよく使ってもらうことが大事。たとえライブで盛り上がってギターに火を付けてしまった、と言われても、喜んで作り直します」
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