v10.0
- ID:
- 49229
- 年度
- 2010
- 月日:
- 1220
- 見出し:
- 康楽館を支える(小坂町)
- 新聞・サイト名:
- 秋田魁新報
- 元URL:
- http://www.sakigake.jp/p/special/genki_project/ikiru/article2_18.jsp
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 8カ月の長丁場となる常設公演が最終盤を迎えた11月下旬、今年創建100年を迎えた小坂町の芝居小屋「康楽館」は早朝から黒子たちが慌ただしく動き回っていた。
その一人、佐藤瑞穂(37)=細前田=は小坂で生まれ育ち、小坂高卒業と同時にこの世界に入った。黒光りする手すりや板張りの白い天井、あちこちに残る歴代の役者、名優のサイン。「自分の年よりもはるかに長い間、そのままの姿で続いている建物。役者の魂とか情念、そんな何かを感じます」。黒子
は、桟敷の客にとって「視界に入るが、そこにはいない」のがルール。あくまで陰の存在だが裏方仕事があってこその舞台。気を引き締めた瑞穂はこの日も、目立たぬよう細心の注意を払いながら「役者と同じように芸をしている気持ち」にこだわって裏方に徹した。
―高校時代にバンドを組み、ライブの準備などで音響や照明に興味があった。(康楽館を運営する)町開発公社が音響照明のオペレーターを募集していると聞き、この世界に入ったんですが最初は戸惑った。緊張と不慣れで、回り舞台の隙間に挟んでしまった幕を強引に引っ張り破いたこともありました。カシ
の木で作った拍子木で甲高い音を響かせる木頭(きがしら)。初めて任された時はうまく音が出なかった。どうにか終えて気付いたら血まめだらけだったこともありました。当時の座長にはよく叱られましたよ。「お客さんはその時しか来ない、その時しか見られない。何やってんだ!」ってね。それからです。覚えよう、
何でも吸収しなければと上京して歌舞伎や大衆演劇を見学し、テレビ観劇も続けました。
瑞穂は、10人いる黒子のうちの1人。開演を告げる木頭入れを任される舞台や役者を照らすピンスポットなどを分担。瑞穂は今年春から照明と音響に代わったが、最も長い舞台へのこだわりが強い。華やかな役者の演技を引き立てる「絵巻」のような舞台、花道上で奈落から登場する仕掛け「すっぽん」。
中でも刻む音が桟敷に響く木頭入れに思い入れがある。
―裏方を務めながら、いつかは自分専用の木頭を持ちたいと。初めて東京の材木屋から角材のカシの木を購入したのは10年ほど前。いい音が出そうな木材を自分で探して加工するんですが、目や節があって、1本の木から1、2本取れればいい。丁寧にヤスリがけして、油を染み込ませてしばらく寝かせ
る。
完成までは数年。いま手持ちは4セット。風通しの良い所に保管し、時々館内で実際にたたいて仕上がり状態を見ているんです。
康楽館は1910年、当時の小坂鉱山が従業員慰安施設として創建した。このころは銀、銅などの生産額で日本一となり、日本三大鉱山の一つに数えられた隆盛期。町外から多くの人が移り住み人口は2万人を超えた。当時、秋田市は3万人台。人出を見込んだ商店や飲食店が相次いで店開きし、街は
昼も夜も人であふれた。真新しい豪華な芝居小屋は、歌舞伎や大衆演劇を見学するヤマの男たちやその家族にとって最大の娯楽となった。
しかし、半世紀を経てテレビが普及すると、舞台演劇や映画が衰退。瑞穂が生まれる3年前、70年には定期興行が行われなくなった。町民の愛着が残る施設として建物自体は維持され、86年に無償譲渡を受けた町が新たなシンボルとして整備して再び開館にこぎ着けた。瑞穂は中学生になっていた。その
4年前には資源枯渇と円高で町を支えた「ヤマの灯」は消えていた。
―館内は、小さいころの記憶が一瞬よみがえってタイムスリップしたような感じ。幼稚園のころ何度か遊びに行った記憶があります。子ども向けの映画が上映されたんですが、映画そっちのけで2階席などを走り回っていた。
角材から手作りで仕上げた木頭(拍子木)の音を、桟敷の中央でたたいて確かめる瑞穂
黒子になって3年目に結婚。共働きで子ども2人を育てる。家族を持ち、迷いがあった仕事は覚える度に面白さに気付き、苦手だった客との会話も楽しくなった。この日20人の女性団体客が青森県から訪れた。公演の合間、瑞穂は2階席から奈落、せり上がり、回り舞台、楽屋へと客を導き、よどみなく説明
する。「いまは町営で国の文化財。和洋折衷の造りで…」。きっかけの一つとなった年配の夫婦の言葉はいまも鮮明だ。「分かりやすい、いい案内。また来たい」。歴史を紡ぐ役割のほんの少しを果たしている、そんな実感が湧いた一言だった。
―大衆演劇って芝居も分かりやすいし、子どもから年配まで親しみやすい。「元気が出たよ」「いやあ、楽しかった」と言う声が多いんです。舞台袖で木頭を打つ時って桟敷が良く見える。酒が入っていたり、案内を全然聞かないお客さんでも実際に舞台が始まると涙を流し、笑っている。だからかな。舞台が好き
なんです。袖で木頭を入れる一瞬が、一番ほっとする。
同僚が帰り支度を始めた午後6時。瑞穂は、笑い声やすすり泣きの余韻が残る桟敷席にいた。黒子を全うし、公演を絶やさないことが歴史と伝統を守ることだと言い聞かせつつ、自宅から持参した手作りの木頭を桟敷の中央で軽く合わせた。「チョーン」。誰もいない館内で甲高い音が響いた。常設公演は1
1月28日で終わり、瑞穂たちの仕事は貸し館業務や旅行会社、主要施設を回る営業職に切り替わった。
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