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ID :  1947
公開日 :  2006年  10月29日
タイトル
[キージ島の教会
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新聞名
朝日新聞
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元URL.
http://www.be.asahi.com/be_s/20061029/20061016TBUK0060A.html
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元urltop:
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写真:
 
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極北にたたずむ木造ポプラ葺き  北緯60度を超えた極北の地にこの教会はたっている。サンクトペテルブルクの北東約300キロにオネガ湖と呼ばれる、日本の大きめの県ほどの面積を持つ湖があって、その中の群島の一つキージ島にたっている。  「キージ」とは「祭場」の意味で、キリスト教伝来以前から、自然信仰の聖なる島だった。群島に住む人びとはわずかな草地で牛を飼い、やせ地を耕してライ麦を植え、湖で魚を捕って暮らしてきた。見渡せど森と水ばか りの極北の地で、心の安らぎといえば、家族と神への祈りだった。  雪氷に閉ざされる冬の間は、群島に点在する各集落用の小さな教会に通い、氷が解けるとキージ島に集って祈りをささげる。夏の教会だった。  ネギ坊主のようなドームがいくつも載るロシア正教会で、ドームは神のまします天上界を象徴するもので元々は一つだった。それが、東方正教会の聖地コンスタンチノープル(現イスタンブール)を出てロシアの大地を 北に進むにつれて数が増え、キージ島についた頃には22にも増えていた。  どうしてキージ島だけに高さ37メートルもの大木造教会があるのかと聞いたら、ロシアにはこうした大教会が各地にたくさんあったが、モンゴルに支配された13~15世紀の「タタールの軛(くびき)」時代にほとんど壊さ れ、キージ島は幸い遠すぎて軛が及ばなかったとのこと。  写真右のプレオブラジェンスカヤ教会と同左のポクロフスカヤ教会は何度かの改築の後、18世紀に、中央の鐘楼は19世紀に、それぞれ現在の姿に造られた。以後、老朽化すれば解体し再建している。  現在のプレオブラジェンスカヤ教会は1957年に再建され、49年しかたっていないが、私の目にも老朽化は明らかで、ログ(丸太)の壁体の一部は腐ってゆがみ、補強材を取りつけている。  中の様子がどうなっているのか、技術的にも表現上も興味深いが、近寄らせてくれない。構造的にそうとう危ない段階に入っているのだろう。  あれこれ危なくとも、やはりすべてが木というのはすばらしい。壁体には松のログが積まれ、屋根にはポプラのシングル(こけら)が葺(ふ)かれ、さらに十字架までが木製なのだ。ポプラが選ばれたのは、風雪にさらされ ると銀色に輝くことを承知してにちがいない。  元々は自然信仰の聖地なのだから、防腐剤など塗ることなく、老朽→解体→再建のサイクルを50年に1度繰り返せばいい。伊勢神宮は20年に1度。 ◆野外博物館として整備◆  16世紀半ばのキージ島には、すでに二つの教会建築があったといわれる。プレオブラジェンスカヤ教会は17世紀末に落雷で焼失したが、1714年に再建され、現在の姿になった。高さ約27メートルとやや小ぶりなポ クロフスカヤ教会は1764年、暖房設備を備えた「冬の教会」として再建。1874年再建の鐘楼も含めて「キージ島のアンサンブル」と呼ばれ、ロシアの伝統的木造建築の粋を示している。  1950年代以降、周辺には民家や風車などの木造建築がロシア各地から移築され、一帯は野外博物館として整備された。90年に世界遺産に登録。