ID :
14647
公開日 :
2010年 1月 1日
タイトル
[ログハウス 充実の毎日
.
新聞名
毎日新聞
.
元URL.
http://mainichi.jp/area/yamanashi/news/20100101ddlk19040164000c.html
.
元urltop:
.
写真:
.
◇世界を旅し寄稿 季節の移ろい肌で感じ--斉藤政喜さん(48)
「バックパッカー」。北杜市高根町上黒沢に住む斉藤政喜さん(48)の肩書だ。「シェルパ斉藤」と言ったほうが知る人は多いかもしれない。1年の半分近く世界各地を旅し、旅行記を雑誌などに寄稿して生計を立ててい
る。「耕うん機オンザロード」(小学館)など単行本も25冊に及ぶ。
旅に出ていない時の斉藤さんの一日は、朝6時半ごろ始まる。
子供たちを学校に送り出し、愛犬と散歩に出る。原稿の締め切りが迫っていなければ、その後はまき割りや大工仕事。夕食は「報告会」と称し、その日のことを家族で語り合う。
「季節の移ろいを肌で感じられる。生きている充実感が毎日ありますね」
斉藤さんのログハウスは、遊びに来る近所の子供たちの笑い声でいつもにぎやかだ。
◇妻が「東京は疲れる」
長野県松本市生まれ。高校3年の冬、建設会社を営んでいた父親が事業に失敗した。父は「会社がつぶれる。逃げるから」と言い残して姿を消した。自宅は差し押さえられ、残った家族は追い出された。母と弟は知人を
頼って千葉県のアパートに、どうしても高校を卒業したかった斉藤さんはアルバイト先だった白馬村のスキー場の民宿に転がり込んだ。
大学に行きたかったが金がない。新聞配達などで2年間学費をため、20歳で名古屋市の福祉系大学の2部(夜間)に入った。「いい人になれそう」と選んだ福祉の道だったが、昼働いて夜学ぶ生活の窮屈さが嫌になっ
た。
旅に出よう--奨学金でバイクとキャンプ道具を買った。紀伊半島を巡る初めての一人旅は「夜学に通う貧乏学生」という劣等感を打ち消してくれた。
卒業も迫った86年、サーフィンをしていたアルバイト先の先輩が「使わなくなったから」と、ゴムボートをくれた。「どうせなら面白いことを」と、中国の長江(揚子江)を下る計画を立てた。しかし、海に浮かべてみると穴
が開いていた。
あきらめきれず、ゴムボートメーカーに「揚子江を下りたい。ボートを無償で提供してほしい」と手紙を書いたら、意外にも「旅行記を雑誌に掲載するなら」という条件でOKの返事が来た。
この話を、何度か読んだことのあったアウトドア誌「ビーパル」(小学館)に手紙で売り込んだ。当時の編集長が、その手紙に文才を見いだしたことが、斉藤さんがこの道に入るきっかけとなった。
大学時代は教員になろうと思った。教育実習で、旅行の話に生徒たちは目を輝かせた。でも、作文を書かせたら「斉藤先生は広い世界に飛び出した方がいい」と書いてきた生徒が何人もいた。
父親への反発もあり、家や土地に執着する生き方になじめなかった。特に借金は絶対にしたくなかった。
定住する気などなかった斉藤さんが、現住所に居を定めたのは95年のことだ。きっかけは妻京子さん(50)の流産だった。
長良川河口堰(ぜき)の反対運動で知り合った京子さんとは91年11月に結婚。東京都内のアパートに住み、92年7月に長男一歩さんが誕生した。しかし、京子さんは94年に2回流産する。「東京は疲れる」という京子さ
んの言葉に、迷っていた斉藤さんも決意した。編集者との打ち合わせの便を考え「東京まで2時間程度」という条件で、さまざまな場所を探した中で何より八ケ岳山麓の空の広さに魅せられた。
土地を買い、友人の協力で8カ月かけて自分でログハウスを建てた。98年1月には次男南歩君も誕生した。
家を建てたら約3000万円の貯金は底をついた。だが、斉藤さんは「わずかな原稿料で十何万円の家賃に四苦八苦している東京のライターに比べたら、精神的には裕福ですよ」と笑う。「移住してなかったら、生活から
逃避するように僕は旅を続け、家庭が崩壊していたかもしれない」
不況、雇用情勢悪化、少子高齢化--世の中には不安をかき立てるキーワードがあふれている。「子供たちに『大人になったらつらい思いをする』というメッセージばかり伝わっている。『大人になっても好きなことはで
きる』と、行動で示す必要があると思います」
==============
◇八ケ岳山麓、退職後の移住者増加 「空の広さ」口々に
県内でも移住者が目立つのは八ケ岳山麓だ。
北杜市の旧8町村ごとの人口を08年と09年(いずれも12月1日現在)で比較すると、八ケ岳のすそ野の旧大泉村と旧高根町のみ増加している。旧大泉村は99人増の4991人、旧高根町は29人増の9744人だ。特に
旧大泉村はここ数年の増加率が高い。
なぜ、八ケ岳山麓なのか。
東京からそれほど遠くなく、自然が豊かで眺望がいいことに加え、移住者が口をそろえるのは「空の広さ」だ。八ケ岳南麓には広大なすそ野が広がる。山間地と違って日照時間が長く、開放感がある。
別荘を多く手がける同市大泉町の建築会社「オルケア」の諸角義晴社長によると、近年は退職後に別荘に永住する人が目立ち、不景気とは関係なく需要は増えているという。
諸角社長は、八ケ岳南麓は真南に広がっていて日当たりが良いことに加え、JR小海線があることで「車がなくても来られる別荘地」として評価が高いと指摘している。