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ID :  1517
公開日 :  2006年 8月21日
タイトル
[木目が魅力の屋久杉
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新聞名
フジサンケイ
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元URL.
http://www.business-i.jp/news/for-page/shopping/200608220003o.nwc
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元urltop:
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写真:
 
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最近インターネットのショッピングサイトを見ていて、「えらく高くなったな」と思うのが屋久杉の工芸品や家具である。テレショップで紹介した1970年代に比べ、数倍から10倍くらいになっているのではない だろうか。需要と供給の関係が、一転したためだ。  産地の屋久島は1993年に世界自然遺産に登録され、伐採が禁止された。その後、市場に出てくる屋久杉といえば、原則的に土埋木(どまいぼく)や倒木だけである。  屋久杉の生える屋久島は鹿児島市から南西133キロメートルに浮かぶ孤島であるが、主峰の宮之浦岳(標高1935メートル)は九州最高峰である。  「月に35日間雨が降る」といわれるほど雨量が多く、強風にもさらされる。このような気象と地形の関係で屋久島の植生は複雑である。低地は熱帯植物群だが、700メートルあたりまでは温帯常緑樹がはびこり、そこか ら1000メートルあたりまでに屋久杉が生える。  屋久杉は杉としては矮小(わいしょう)奇形が多く、油分が多くて材質は稠密(ちゅうみつ)である。樹齢1000年以上のものが屋久杉であり、それ以下は小杉と呼ばれ小僧扱いだ。66年に発見された縄文杉は樹齢7200 年と推定されている。  屋久杉の魅力は木目の複雑なところにあるが、その木目こそ、屋久島の自然の歴史を物語っている。そういう意味で、世界遺産としての屋久島のシンボルなのである。  木材としての屋久杉が注目されたのは、豊臣秀吉が京都方広寺の大仏殿に使用したときだが、以来、神社仏閣などの建材として珍重される。江戸時代には平木(ひらぎ)といって五分板(約15ミリ)の柾目(まさめ)のも のが豊富で、屋根材として使われた。20世紀前半までは、自然資源と文明や経済の発展との間に一定の調和が保たれていた。  そのバランスが一挙に崩れるのは第二次世界大戦後における大量消費社会の到来を見てからである。平木が取れるようなものはなくなり、矮小奇形が残った。それが現代の屋久杉イメージにつながっているのである 。テレショップが始まった72年ころは一部に保護区指定などが登場するようになったが、全面的に禁止されてはいなかった。テレショップがとりあげた屋久杉製品は飾り棚や座卓、姿見、電話台などであった。  屋久杉の異称として鶉杢(うずらもく)という言葉があるが、鶉の羽のような木目をいう。現代の木工職人たちは屋久杉の木目をどう引き出すかに知力を費やす。大根にたとえれば短冊に切るか、桂むきにするか。いず れも薄くそぐことに変わりがないが、前者による木目をスライス杢、後者によるものをロータリー杢という。  テレショップでは薄紙のような屋久杉を集成材にはった突き板に、うづくりといって金属ブラシで木目を浮き立たせる加工を施した飾り棚などを紹介した。  今や、突き板製といえども非常に貴重。価格が高くなるのは当然で、それだけに大事に使いたい逸品になってしまった。(エフシージー総合研究所社長 境政郎)