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木造建築のネツト記事
ID :  10026
公開日 :  2009年 1月 6日
タイトル
[独自塗装 世界の扉開く
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新聞名
読売新聞
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元URL.
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokushima/news/20090105-OYT8T00692.htm
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元urltop:
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写真:
 写真が掲載されていました
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400年余りの歴史を持つ徳島市の木工業。鏡台や仏壇産地として知られるが、「天然革張り家具」では世界一の生産技術を誇る。塗装職人、松下征一郎さん(67)はかつて、革本来の柄、風合いを生かす塗装 の腕を見込まれ、皇太子妃雅子さまのご婚礼家具を手がけた「現代の名工」だ。
 徳島市立徳島城博物館によると、同市の木工業は、江戸時代直前、蜂須賀家政が現在の同市南常三島町に水軍基地を置き、多数の船大工を住まわせたのが始まり。約50年後、孫の忠英(ただてる)が基地を安宅役所( 現・徳島市安宅)に移転した際には、現在の同市大和町に船大工約50人が住んでいたという。
 廃藩置県後、船大工たちは次々転職し、タンス、針箱などの家具や建具を手がけ、木工業が栄えた。松下さんの父も船大工。「手に職を付けなさい」と言われ、中学卒業後すぐ、タンスメーカーで働き始めた。
 ちょうどその頃、ポリエステル樹脂が開発された。同社は「塗装に使えば、厚みがあって重ね塗りがいらない。頑丈で、磨くとツヤも出そうだ」と考え、塗装工見習いだった松下さんに、塗装法を研究させた。
 火鉢で室温を暖めるなどし、条件を変えて板の切れ端に次々塗った。道具もスプレーやブラシ各種を試した。全くの我流で失敗を繰り返した末、思い通りに出来るようになった。そのうわさが広がると、他社の職人たち が見学に来た。
 1967年、徳島市国府町日開の家具製造販売会社「北谷」から、当時徳島の木工業の主力だった鏡台の塗装担当者にと招かれた。間もなく、同社は客からイタリア製革張り鏡台の修理を受注。職人たちは板と革という、 それまで見たこともない組み合わせに驚いた。「独自に、これより良い製品を作ってみよう」  革張り家具の特徴は、皮革の血管、毛穴などの色ムラがオーロラや絞り柄に見える「まだら模様」だ。松下さんは象、鹿といった様々な革の切れ端を取り寄せ、塗装を試した。発色が良く、安定して仕入れられる「子ヤギ 」の革にたどり着いた。
 次は、相性の良い塗料探し。当時のイタリア製家具は、すぐ塗装がはげた。革を塗装すると、すべて吸い込まれ、何度も塗っては乾かした。結局、塗料を特注し、5種類の塗料を使い分けて塗り重ね、1番外側は独自の 塗装技術を持つポリエステル樹脂にした。
 69年、天然革張り家具を発売。全国の家具需要が次第に減る中、独自性が高く評価され、大手百貨店に販路を開拓した。「世界に一つだけの技術」が、全国の富裕層の心をとらえた。
 74年には東京・迎賓館に姿見、89年は京都御所にダイニングチェアをそれぞれ納めた。93年には、皇太子妃雅子さまのご婚礼家具として、鏡台や姿見、リビングボードを納品。松下さんが、それらすべての塗装を手 がけた。
 さらに、革の風合いを生かしたまま様々な色を付ける技術を開発。染料と顔料を混ぜた液体で厚さ0・5ミリの革を染めて重ね、大理石のようなベージュ色などを表現した。客はそれでも「自分だけの家具」を求め、次々 新しい色の家具を注文。その度に研究し、エメラルドグリーン、オレンジ色などを生み出した。
      ◇  松下さんは7年前に定年退職し、2003年、厚生労働省が選ぶ「現代の名工」に選ばれた。現在、百貨店で塗装方法を実演し、木工塾では講師として後進を指導。「家具業界を衰退させないために、まず興味を持っても らわな」と話す。
 塗装の仕事について「若い時はベタベタ、ドロドロになる格好悪い仕事だと思った。周囲に認められ、好きになっていった」と振り返る。「お客さんのわがままは、職人のバネになる。『なにくそ』と思って乗り越えたら、自 然と腕が上がってた」(