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ID #000 7821
公開日 :  #000 2008年 5月29日
タイトル
[高田祭曳やまの木彫「松鷲」は江戸期名工の作
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新聞名
岐阜新聞
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元URL.
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20080528/200805280847_4887.shtml
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元urltop:
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写真:
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県重要文化財に指定されている養老郡養老町の高田祭曳やま「西町やまの木彫」が、「幕末の左甚五郎」と呼ばれた江戸時代の信州諏訪の名工立川流2代目和四郎冨昌と、次男専四郎冨種の親子の作だった ことが27日、分かった。代表的な彫刻作品「松鷲」の裏面に2人の名前が刻まれているのを、山車彫刻の研究者で国立岐阜高専名誉教授水野耕嗣さん=名古屋市=が発見。地元では「郷土の宝物の付加価値がさらに高 まった」と喜んでいる。
 県内に現存する冨昌の作品は、高山市の春の高山祭の祭り屋台「五台山」の飛獅子彫刻などで知られる。
 西町やまの木彫は1851(嘉永4)年に制作された。当時はすでに冨昌の長男冨重が3代目和四郎を襲名しており、冨重・冨種の兄弟作と伝えられてきた。しかし、水野さんは作品の出来栄えから長年疑問を抱き、高田 曳やま保存会に「彫刻の裏面を見せてほしい」と依頼していた。
 保存会員らが額を取り外すと、高さ約1・2メートル、幅約50センチ、厚さ約20センチのケヤキ1枚板をくり抜いた松鷲彫刻の裏面に「信州上諏訪 立川冨昌 同冨種 彫」との陰刻を見つけた。このやまには彫刻が39面 あるが、少なくとも松鷲などの計4面は冨昌・冨種親子の作であるという。
 「松鷲の彫刻は日本の山車彫刻史上でトップクラスだと思っていたが、やはり冨昌作だった」と水野さんも興奮気味に話していた。
 【立川流彫刻】江戸時代後期、信州諏訪を拠点に展開した装飾彫刻。初代立川和四郎冨棟から4代目和四郎冨淳までが手掛け、長野県を中心に、東は千葉県、西は京都府まで約200件の彫刻や建築物を残した。中でも 2代目和四郎冨昌(1782―1856年)は初代の父をしのぎ、天才的な技術力と美的造形感覚で、立川流彫刻を芸術の域にまで高めたとされる。