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ID :  5313
公開日 :  2007年 11月10日
タイトル
[風景をつくる(5)街路樹巧みに街演出三休橋筋でも
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新聞名
日経ネット関西版
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元URL.
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news000994.html
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元urltop:
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写真:
 
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御堂筋へ行きそびれたイチョウも残る太子橋中公園(大阪市旭区)=写真 末松誠 大阪市旭区の太子橋中公園。約1.6ヘクタールの園内で、色づき始めた60本のイチョウが今、地域住民の目を楽しませている。実は、その多くは「御堂筋の並木になりそびれた」イチョウ。だが、そのことを知る利用者は 少ない。
●樹種巡り大論争  同公園が整備される1963年まで、ここは苗圃だった。大正13年(1924年)、御堂筋の並木用にイチョウが埼玉から取り寄せられ、大阪の土地になじませるために育てられた。地元の郷土史家、小井戸茂さん(75)は「聞 き伝えでは、その時に植えられ、御堂筋に使われずに残ったイチョウが今でも園内に10本ほどある」と話す。
 御堂筋完成後も苗圃ではイチョウが育てられたとみられ、公園近くに住む野村末一さん(73)は「地区の老人から、イチョウは御堂筋の補充用だったと聞いたことがある」という。苗圃は、御堂筋の街路樹が枯れたりし た場合の“バックアップシステム”だった。
 同公園愛護会の会長も務める野村さんが、イチョウを見続けて今年で37年。「落ち葉の掃除は大変だし、剪定(せんてい)で枝から落ちてけがをしたこともある。いい思い出はない」と言いながら、「御堂筋に行けなか ったのもかわいそうなことだし、このイチョウたちのことは見捨てられんなあ」。
 御堂筋の工事が始まった大正15年。街路樹の種類が決まらず、市役所内でプラタナス派とイチョウ派に分かれ、大論争が繰り広げられた。「苗圃のイチョウはまだ低木。プラタナスなら成長が早く、すぐによい景観が つくれる」。対して、「四季で色も変えるし、東洋的な木なので欧米人にも珍しがられる」と主張するイチョウ派。激論の末、折衷案で「梅田―大江橋間はプラタナス、淀屋橋以南はイチョウ」と決まった。
●特徴づけへ計算  だが、大阪市立大の嘉名光市准教授は、折衷案以上の意味がある、とみる。「当時の計画では、大江橋以北は官庁街として整備する『シビックセンター』構想があり、西洋的な街並みを目指していた。それに合うのは外 来のプラタナスだった」と指摘。「それに対し、淀屋橋以南は近代的風景を模索しながら、船場という近世からの街の特性を考え、日本的なイチョウを選んだのではないか」  また、御堂筋の中之島地区には植樹帯がない。「東西に広がる島を街路樹で分断せず、川の風景も楽しませるという配慮があったはず」と嘉名准教授。思い描いた街並みを街路樹で特徴づける。美観づくりの陰に巧み な計算が見え隠れする。
 4列の植樹帯や広い歩道が設けられた御堂筋。当時はこうした大通りが各地でつくられた。「しかし、戦後の高度成長期、自動車交通が盛んになり、街路樹や歩道が削られ、車線が増やされていった」と北海道大の越沢明 教授(都市計画)。「最近になって再び、景観や、道路に暮らしの心地よさを求める動きが出始めている」と話す。
大きく枝を伸ばすセンダンの木(大阪市中央区北浜)  御堂筋より3本東に位置する三休橋筋。綿業会館など戦前の建築物が多く残る道で、再来年度の完成を目指し、ガス灯の整備や、歩道の拡張、電線地中化計画などが進む。
 この筋の街路樹を何にするか、沿線企業などで協議。5種類の樹木が候補に挙がり、「御堂筋のイチョウの黄色に対し、モミジバフウの赤で対照性を出したらどうか」などの意見も出された。
●70年の時を経て  話し合いの末、最終的に選ばれたのは栴檀(センダン)の木。景観との相性のほか、傘状の木であるため夏には緑陰をつくり、晩秋には葉が色づくことなどが理由だった。
 さらに、決定打となったのは歴史的由来。筋と中之島の間には「栴檀木橋」が架かり、三休橋筋の北半分は戦前まで「栴檀木橋筋」と呼ばれた。そして、橋の南詰めには今も1本、センダンの巨木が立つ。
 「街並みとの調和、季節感、そして歴史的意義。どの点を取っても、通りにふさわしい樹木だった」と三休橋筋商業協同組合の和田亮介代表理事。
 現在、三休橋筋に残るトウカエデはすべて抜かれ、約1キロ区間がセンダンの並木に生まれ変わる。
 街路樹にも景観の哲学が込められた御堂筋。その“遺伝子”が70年の時を経て、幅員約13メートルの街路で目覚めるのか。関係者の注目が集まっている。
=この項おわり  次回から「祈り・育(はぐく)む」をテーマに連載します。