ID :
4919
公開日 :
2007年 10月 9日
タイトル
[建築資材用の運河跡か 奈良・藤原宮跡の中心部
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新聞名
中日新聞
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元URL.
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007100901000223.html
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元urltop:
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写真:
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国内初の本格的都城として知られる奈良県橿原市の藤原宮(694-710年)跡の大極殿南側で、大規模な溝跡が9日までに見つかった。万葉集によると、藤原宮造営には滋賀県の田上山(たなかみやま)の
木材などを使ったとされ、調査した奈良文化財研究所は「宮造営のための建築資材用の運河だったのだろう」とみている。
溝跡は幅7-8メートル、深さ1・5メートル以上。天皇の政治の場だった大極殿の南にある正門付近で確認、南北方向に掘られていたらしい。2種類の土を交互に入れて埋め戻していた。溝跡は宮の建物造営に伴い、埋
め立てたとみられ、同研究所は「計画性がうかがえる。藤原宮造営の手順を知る貴重な遺構」としている。
過去の調査で大量の木片などが出土した大極殿北側の運河跡(幅6-9メートル、深さ約2メートル)につながる位置にあったが、今回は調査地が狭く、遺物はほとんど見つからなかった。