ID 1720
登録日
2006年 9月25日
タイトル
「高野槙」で見直し
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新聞名
フジサンケイ
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元URL.
http://www.business-i.jp/news/for-page/shopping/200609260002o.nwc
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元urltop:
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写真:
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■木曽五木に親しみ再び
悠仁(ひさひと)親王の「お印」に決ったことで「高野槙(こうやまき)」がにわかに注目されている。
高野槙はスギ科の常緑高木で、和歌山県の霊峰高野山に多く、樹名もそこに由来し、神聖なひびきがただよう。木材としては腐食に強く、耐水性があり、船材、浴槽材としては最高級。ひのき風呂より希少性も高い。
高野槙で思いだされるのは木曽五木である。木曽五木とはヒノキ、サワラ、ネズコ、アスナロに高野槙。これらの木工品はリビング11にとって、メーンの商品ではなかったが、木曽の風土や自然、工人の技能などの紹
介を通して、「木と日本人」のつながりを浮き彫りにできた。
木曽は特にヒノキで有名だが、そのヒノキ林は日本三大美林の一つである。木曽のヒノキは古くから神社仏閣の用材だった。伊勢神宮の遷宮用材として鎌倉時代から使われている。「木曽大工」は「飛騨の匠」とならんで
広く知られていた。木の工人への尊称だ。
三大美林として残ったのは、尾張藩のきびしい林政による。藩は五木を停止木(ちょうじぼく)として伐採を禁じた。「木一本、首一つ」というきびしい規制である。この規制の本命はヒノキにあるのだが、樹木の形状や葉
の形が似ているから、他の4種も規制したのだという。明治時代以後も国有林化、御料林化して規制は続く。
現代、美林ぶりを体験できるのは上松(あげまつ)町の赤沢自然休養林だが、ここで1982年第1回森林浴大会が開かれ、森林浴発祥の地となる。木曽11宿のほぼ中間に位置する上松は木材の港である。木曽の木材
はここに集められ、各地に送られる。
木曽ヒノキは建材として第1等であるが、サワラは桶(おけ)材として最適だ。サワラは「椹」と書くが、柾目(まさめ)がきれいで酸類にも強い。高野槙とは異なり素地には吸湿性があるので、寿司桶(すしおけ)やおひつ
にしたとき、適当に水分を吸収するので、ご飯がべたつかない。木の香も爽(さわ)やかだ。
上松の小さな木工所で寿司桶作りを取材した。若干丸みを帯びた短冊状のサワラの木片を仮のタガに沿って並べ、丸い枠を作り、銅製の本タガをはめて底を入れればほぼでき上り。木曽大工につながる技だ。
この寿司桶を買ったお客さんから珍しいクレームを受けた。「これはサワラではなく松だ」という。「そんなはずはない。これはサワラです。現地で確認している」と答えると、「ちゃんと松と書いてある」と退かない。よく
聞いてみると裏底に「上松製」の判があるという。こちらも気がついて、「それは産地の名称で、素材ではない」と答えた。客もすぐ納得。落語のような話だった。
サワラ以外にもネズコの調度品なども紹介した。高野槙も含め、木曽の木工品はテレショップというヒノキ舞台では立役者に成りえなかったが、そこには日本人の知恵と技が生きていた。
今回高野槙が新親王の「お印」として、大脚光を浴びたことが、木や木工品に親しむきっかけになればと思う。(エフシージー総合研究所社長 境政郎)
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