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ID 14509
登録日   2009年 12月22日
タイトル
焼き畑 森林再生に力 「やぼ焼き」一家で奮闘 宮崎
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新聞名
読売新聞
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元URL.
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/news/20091222-OYT8T01576.htm
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元urltop:
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写真:
  写真が掲載されていました
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白山市下田原地区(旧白峰村)で山口清志さん(78)らが続ける出作りの中で、主食のヒエ・アワを栽培する焼き畑は、最も重要な生業だった。森を焼き払う「環境破壊の一因」と見られがちな焼き畑だが、白山 麓で行われてきたように、本来は、火入れ・栽培の後、20~30年かけて耕作地を休ませ、森を再生させる「循環型」の農法だ。その焼き畑を実践し、焼き畑の意義・本質を見つめ直そうとする動きが今、各地で広まりつつ ある。
 熊本県境にある宮崎県椎葉村。宮崎市から九州山地の山道を越えて車で3時間の椎葉村中心部から、さらに20キロ山奥に進んだ標高900メートルにある民宿「焼畑」を訪ねた。村でただ一人の焼き畑実践者・椎葉勝 さん(56)が経営する民宿だ。
椎葉村の山奥で行われている焼き畑(椎葉さん提供)  椎葉では8月上旬に、焼き畑(やぼ)の火入れ「やぼ焼き」を行う。山の神様に安全を祈願し、あらかじめ切ってあったクマザサなどに斜面上部から火入れする。階段状に木々を積み上げた「ヤキシロ」に火をつけ、斜面 上部からかきおろしていく白山・下田原の手法とは異なるが、病害虫を駆除し、木々を燃やした灰を肥料にする目的は同じだ。1年目にソバを植えた後、ヒエ、ダイズ、アズキなどを3~4年かけてローテーションで栽培 する。
 40年ほど前までは焼き畑農家も多かったが、ホースの普及で山奥にも水が引けるようになり、水田農家が一般的になると、焼き畑は衰退し、続けたのは椎葉さんの両親だけだった。
「焼き畑を守り続けていきたい」と話す椎葉さん  「小さい頃から手伝いばかりで遊びにも行けない。ヒエ混じりのごはんを弁当に持って行くのも嫌でした」。椎葉さんは30歳で村を離れ、県外で働いた。12年前、父の秀行さんが倒れたのを機に戻ったが、農業の機械化 が進み、共同作業が少なくなったせいか、人間関係は希薄になっていた。
 隣人の協力が欠かせない焼き畑が盛んだった時代、村には助け合いの精神が根付いていた。母・クニ子さん(86)の焼き畑を手伝いながら、「地域の結びつきを深めるきっかけに」と焼き畑に参加する有志を募集した。
参加者は徐々に増え、今では火入れの際には県外からも人が集まる。
秋になると、斜面一帯にソバの花が咲き誇る(椎葉さん提供)  焼き畑を再開して、改めて技術の奥深さに感銘を受けた。「やぼに雑草が生え始める3年目は、葉が広がり雑草の成長を抑えるアズキを植える。火入れから輪作の順番まで、自然の理にかなった知恵があるのです」  2年前、秀行さんが亡くなり、クニ子さんも今年、病で入院したが、三男の竜也さん(28)が3年前、勤め先の福岡から戻り、焼き畑の“修業”を始めたのが明るい材料だ。椎葉の焼き畑の火を消さない――。椎葉さん一家 の奮闘は続く。
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このページの公開日は1999年11月12日。最新更新日はです。

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