ID 13512
登録日
2009年 10月 9日
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タイトル
タイトル
セザンヌ、ゴッホの魂を再現 建築家・安藤忠雄
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新聞名
新聞名
フジサンケイ
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元URL.
http://www.business-i.jp/news/flash-page/news/200910080117a.nwc
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元urltop:
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写真:
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フランク・ゲーリー氏、ジャン・ヌーヴェル氏、レンゾ・ピアノ氏といった建築界の巨匠がかかわった新アートセンターが来年南仏に開館する。彼らを率いる役割を果たしたのが日本を代表する建築家、安藤
忠雄氏(68)だ。
独学で設計を学び、「建築界のノーベル賞」といわれるプリツカー賞を1995年に受賞した安藤氏は新アートセンターのマスタープランを策定したほか、敷地面積3000平方メートルのメーンギャラリーを設計した。
南仏エクサンプロバンスの「シャトー・ラ・コスト・ワイナリー」に開館する新アートセンターには、ゲーリー氏設計の音楽パビリオンやヌーヴェル氏によるワイン貯蔵室のほか、ピアノ氏とノーマン・フォスター氏が手掛
ける建築物が置かれるという。安藤氏含め5人全員がプリツカー賞受賞者という超一流のチームだ。
安藤氏は東京・表参道で行われたブルームバーグ・ニュースとのインタビューで、新アートセンターについて、「水面を作って、ギャラリーが水面のなかに浮いているように見せる」と述べた。「エクサンプロバンスは近
代絵画の父、ポール・セザンヌの生まれ故郷」であることから、その土地には特別な意味合いがあるという。
大阪の「光の教会」に見られるように、コンクリートを使った幾何学的な建築で知られる安藤氏。新アートセンターには、野外の彫刻庭園やレストラン、約20の客室を備える小さなホテルが併設されると説明した。
■自然と歴史と美術の共有
安藤氏は、セザンヌやゴッホの芸術的霊感の源となった南仏の田園地方に計画された新アートセンターがをつくろうと心がけている自身の関心とも一致する、とも述べた。
今年前半には、イタリアのベネチアで17世紀から税関施設として使われた建物が安藤氏の設計によって仏実業家フランソワ・ピノー氏のコレクションを展示する現代美術館「プンタ・デラ・ドガーナ」として生まれ変わっ
た。
2008年に出版された安藤氏の自伝『建築家 安藤忠雄』によると、建築学を正式に勉強したことがない安藤氏は17歳のとき、わずか1カ月足らずの練習でプロボクサーのライセンスを取得。だが、出身地の大阪で世
界フライ級とバンタム級でチャンピオンとなったファイティング原田の練習風景を見て、自分の肉体的、技術的な限界を感じたという。
「リングの中でボクシングをしたとき、誰も助けてくれないということを学んだ」と安藤氏は振り返る。
成績の悪さと経済的な事情から大学進学は考えていなかったが、高校2年の時の東京旅行で米国の建築家フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテルをみて感銘を受け、建築の道に進むことを考え始めた。
その後は建築周辺の雑多な仕事を手掛けながら、夜間学校で製図を学び、インテリアデザインの通信講座を受講。20歳のある日、大阪の古本屋でスイス出身の建築家ルコルビュジエの書籍に出合ったことが、大きな
岐路となった。
このときの思い出を安藤氏は「ページをめくりながら、すぐに『これだ!』と直感した」と記している。早速この書籍を購入し、そこにある設計図を暗記するまで書き写したという。工業高校卒業後は国内外を行脚した末
に28歳で建設事務所を設立、54歳でついにプリツカー賞を受賞するまでに上り詰めた。
2016年の東京五輪招致委員会の理事を務めた安藤氏は「太陽エネルギーや風力発電を含め、自然エネルギーに対する日本の技術レベルは世界でも有数といわれてきた。五輪誘致には、化石エネルギーから自然エネ
ルギーに時代が転換するとき、東京がその代表的都市になれないか」という思いが込められていると説明した。
■ごみの島を森に再生
また安藤氏は現在、東京湾のごみの埋め立て地を森に変える「海の森」プロジェクトにも力を入れている。3年前から東京の小学生が埋め立て地に植樹するイベントも始まった。安藤氏は世界の主要都市で精力的に講
演活動を行い、50万人から1人当たり1000円の寄付を集めることを目指している。
「環境というものが人間と深くかかわっているということを子供たちに知ってもらいたい」と安藤氏は語った。
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