ID 11026
登録日 2009年 3月20日
タイトル
魚津城の戦い 見届けた?名木 『常磐の松』の机発見
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新聞名
中日新聞
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元URL.
http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/20090321/CK2009032102000181.html
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元urltop:
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写真:
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大河『天地人』で注目
魚津・大町小が展示へ
魚津城跡地にある魚津市大町小学校に、魚津城内にあったと伝えられ、一九五〇(昭和二十五)年の同校舎の火災後に切り倒された「常磐の松」で作られた机が残されていたことが分かった。NHKの大河ドラマ「天地人
」で魚津城の戦いが注目される中、同校では戦いを紹介する資料を観光客に公開する教室で、目玉として机を展示することにしている。(武田寛史)
机は長さ二・六四メートル、幅八七センチ、高さ七六センチ。同校の印刷室の作業台として置かれていた。
机の天板の裏側の裏書きには「初代常磐の松 亭々(ていてい)として天空にそびえ そゝろに魚津城を偲(しの)ぶ 常磐の松も一昨秋の 大火から樹勢頓(とみ)に衰え 惜しくもこれを伐(き)り 永くこの名樹をつたえ
るため机に拵(こしら)え 裁縫室の床をかざることにした 昭和廿七年三月二十日」と書かれていた。
常磐の松を後世に伝え残すために机に仕上げたという内容で、当時の魚津町長や大町小学校長などの名前も記されている。
火災は一九五〇年、文化祭の行事期間中だった十一月四日午前四時四十分ごろに西館から出火し、校舎の三分の二が焼失した。火災の熱の影響もあってか、常磐の松は枯れ始め、五二年三月に切り倒された。
初代の松は、漁師が灯台代わりの目印にしていたというほどの巨木だったと言われる。同校の校歌の歌詞に「常磐の松の聲(こえ)もさやけく」とうたわれるほどシンボル的な存在として人々に親しまれた。
現在、グラウンドの隅にある二代目の常磐の松は六七年に植樹された松だが、今も青葉を茂らせている。
四月朔日(わたぬき)秀典校長は「机の裏書きから、後世に伝え残したいという思いが伝わる。魚津城をしのぶ遺構は残っていないが、魚津城と関係する歴史的な資料として、机は貴重」と語っている。
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