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ID 10052
登録日 2009年 1月 7日
タイトル
タイトル
森の国で生きる:荒れる山林 
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新聞名
新聞名 毎日新聞
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元URL.
http://mainichi.jp/area/yamanashi/news/20090106ddlk19040076000c.html
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元urltop:
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写真:
  hhh
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かつての活況、見る影なく  「林業はもうかる。そんな状態がずっと続くと思っていました」。元県職員の植松光正さん(79)は、そう振り返った。植松さんは1949年から87年まで林務行政に携わり、林業の盛衰を目の当たりにしてきた。
 50年代、山梨県の財政は危機的状況にあった。約8億円の累積赤字を抱えた56年、ついに国から地方財政再建促進特別措置法の適用団体に指定され、県は56~63年度の8年間の再建計画を策定、財政再建に乗り 出した。
 ところが、県は計画より1年早く、62年に再建を完了できた。それに大きく貢献したのが県有林だった。特別会計で運営される県有林からは、再建計画中の7年間に計11億3000万円が一般会計に繰り入れられた。
 「切れば切るだけ、どんどん売れた。今では考えられませんが、県内の道は木材を積んだトラックがたくさん行き交っていました」(植松さん)。55~65年ごろ、1ヘクタール分の木材価格は杉が300万円、ヒノキは100 0万円ほどだったという。戦後復興とその後の急激な経済成長で木材が必要とされていた。
 木材の需要は増え続け、57年には県有林の臨時植伐計画が立てられた。計画に基づき、建築材にならない広葉樹林は次々と針葉樹林に転換された。
 三井正彦さん(64)=現・県森林整備生産事業協同組合専務理事=が66年に県職員となった時も、まだ林業の活況は続いていた。「木材を売ったお金で森林の整備ができた」(三井さん)という。
 状況が暗転し始めたのは70年ごろのことだ。
 原因の一つは、56~64年に段階的に行われた木材の貿易自由化。安価な外国産材が流入し、瞬く間に広まった。「県有林材も、まったく太刀打ちできなくなってしまいました」(植松さん)。
 それに「環境意識の高まり」が追い打ちをかけた。三井さんはこう振り返る。
 「木を切るのはいけないという風潮が盛り上がりましてね。『県有林は伐採し過ぎだ』という話も環境団体などから出て、行政側もできるだけ伐採を抑えろという方針に変わっていったんです」    ◇  ◇  全国的な傾向と同様、県内の林業も衰退傾向にある。林業就業者は05年現在で809人と40年前の5分の1にまで減少した。
 民有林の中には、相続した所有者が首都圏に引っ越してしまい、誰も手入れをしないまま荒れ果てた森林も少なくない。林業の景気がよかったころ、民有林の指導のために植松さんが山林の所有者宅を訪ねると「『貧乏 役人にお茶でも飲ませてやろう』なんて言ってね。高いお茶菓子なんか出してくれました。みんな裕福でした」。今では見る影もない。
 県有林からの木材収穫量も58年度の36万立方メートルをピークに70年ごろから目立って減り、81年度には9万2545立方メートルと初めて10万立方メートルを下回った。07年度は伐採可能量が38万8373立方メー トルあるのに対し、実際に伐採されたのは4万1583立方メートルにすぎない。
 植松さんは「民有林の中には既に手遅れになってしまった所もある。県有林でも、本当はもっと整備が必要な所もあるんです」と危機感をにじませた。
 木を切っても売れない--そのことが健全な森林の維持を阻む要因となっている。三井さんは言う。「木を切って使い、また、植えて育てる。木材を使うことは、そういう循環型社会を実現することなんです。県民は、も っと木材の有効利用を考えるべきです」
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