ID 9965
登録日 2008年 12月21日
タイトル
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ヒノキの用材 200年計画の神の森
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新聞名
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日経トレンディネット
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元URL.
http://trendy.nikkeibp.co.jp/lc/eco_yano/081222_hinoki/
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元urltop:
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写真:
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年々調達が困難になる御用材
20年ごとの式年遷宮には約1万3000本ものヒノキ材を用いる。そんなに要るのかと驚かれると思う。
必要とする材積は約1万立方メートル。太い用材ばかりだと少なくてもよいが、細いと本数が多くなるのは当然だ。最も多く必要なのは胸高直径で50~60cm。これが全体の70%をしめる。
宇治橋の大鳥居にリサイクルされる御正宮の棟持柱(むなもちばしら)には、直径1mほど、樹齢500年という巨木も使われる。最大の太さの木は、御正殿の扉になるもので、直径1m20cm以上。1番長いのは13mの千
木(ちぎ)に使う用材だ。
現在ではもう、直径が1m20cmの、節の少ないヒノキの一枚板が採れるような木は入手不可能だ。昭和4年(1929年)の遷宮を最後に、正殿の御扉(みとびら)は一枚板ではなく張り合わせているそうだ。接着技術が進歩し
、合板といえども少しも分からぬからそれはよい。
鎌倉時代までは地元の神宮の山で、こうした巨木も伐り出されていたのである。
神宮の山は、神路山(かみじやま)と島路山(しまじやま)と高倉山からなり、約2000年前に天照大神が鎮座した時から、大神さまの山とあがめられてきた。約5500ヘクタール(5500町歩)の森は、東京都でいえば世田谷
区とほぼ同じ面積である。
この三山でヒノキは調達してきたのだが、しだいに良材がなくなり、伊勢志摩から宮川の上流、大杉谷や木の国といわれる紀州にと、遠くまで求めなければならなくなった。
江戸時代中期になると、ヒノキの名産地は木曽山であるから、そこが御杣山(みそまやま・御用材を伐り出す山)と定められた。それ以来、幕藩体制の保護のもと、「神宮備林」として、戦前までは長野県と岐阜県に式年遷
宮の用材だけに備える山があった。
現在この山は国有林となって国宝の修繕などに使われている。戦後、国家の手から離れた神宮では、国に払い下げを申請してそこから用材を購入している。
私はこの国有林は今も見事な大木が茂る山だと思っていた。戦前の写真を見たり話に聞くと、この木は何回先の遷宮の、どのお宮のどの部分に使う用材だと計画的に育成していたそうで、立派なヒノキがそそり立つ美
林であった。まさに神宮備林は、“神宮美林”であった。
だが現在では、毎年、国宝の修繕などで伐採され、もう立派な木は運搬が難しい奥山にしか残っていない。ヘリコプターを使わねば運び出せない谷にあり、それももう数少ない。
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