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ID 9752
登録日 2008年 12月 5日
タイトル
タイトル
子どもの仕事の一つだった丸太の皮むき
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新聞名
新聞名 毎日新聞
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元URL.
http://www.news.janjan.jp/living/0812/0812042905/1.php
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元urltop:
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写真:
  複数の写真が掲載されていました】 hhh
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我が家では母子で製材所に積んである丸太の皮を剥かせてもらい、薪の代わりにした。大自然を体得できた。自然とのかかわりを置き去りにし、心の荒んだ大人になっても、精神の成長には乏しい。それは昨 今続発する酒酔いひき逃げ事件などが証明しているように思う。
地球温暖化で見直され始めた中に薪ストーブがある。民家の解体で出る廃材や、森林の間引きで発生した樹木の再利用などで、新たな試みが進んでいる。振り返ってみると、今日のように寒冷地での石油(灯油)ストー ブが積極的に利用されたるようになったのは、今から約30~40年前からだと思う。 街中ではめったに見られなくなった製材工場 昔住んでいた長屋の屋根裏の一角に、俄か造りで勉強部屋ができた。母が破れ障子を開け、火鉢に炭を付け足してくれていたのは中学3年生の冬だった。翌年、そのお蔭もあって夜間高校へ行くことができた。昼間働い たお金で、その年の冬には小さな石油ストーブが火鉢と入れ替わった。
高校を卒業した後も、我が家では薪と石炭で暖を採る形が暫らく続いていた。今、出回っている本格的な石油ストーブが、どこの家にも置かれるようになったのは、1970年の中頃からだろう。最近になって、石油の代替 として薪を見直すというが、私の年代の多くの人は、薪の代替が石油だと感じていたのではないだろうか。
丸太が山高く積まれている。
旭川市は北海道でも木工の町として知られていて、家の近くには製材所が何軒もあった。製材所裏には一年中大きな丸太が屋根の高さまで積まれていた。裕福な家のように、割られて針金で縛られた薪を買えない長屋 の連中は、こぞって先が三味線の撥(ばち)のような箆(へら)状になった鉄の棒を持ってそこに集まった。
積んである丸太の皮をむき、それを家に持ち帰り、薪の代わりにする。その分の料金は払わない。持ちつ持たれつの関係と言おうか、製材所も皮をはぐ手間がなくなるので、危険を承知の上で見てみぬふりをしていた。
ところが、子どもの力ではそう簡単に丸太の皮はむけない。そこで親と子の役割分担が自然発生する。母(大人)が皮をむき、それを子どもが家の前まで運ぶ。一定量運び終えると、子どもは鉞(まさかり)で薪ストーブに入 る大きさに切り、それを乾燥させるために軒下に積む。
現在の丸太の皮むきは機械で行われている。
子どもにとって、今生きているのは大自然の循環の中なのだということを、親の仕事を手伝うことによって体得する。また近所の人と共同作業をすることで、同じ価値観を得られる。1人では何もできないことを否が応に も教え込まれる。親への尊敬や、人の生き様をそんな小さなことからでも勉強する。
現在に見られるように、自然とのかかわりを置き去りにしたままだと、人は大人になっても、こころの成長には乏しいのではないのか。それは昨今の、例えば相次ぐ「酒酔い運転でのひき逃げ事件」などが証明しているよ うに思う。それらに共通している、心が荒んだ「自己中心」の思いは、大都市中心の社会形成で、コンクリートとアスファルト生活で育てられた、起きたことだけを処理しようとする、負の世界と考えられないだろうか。
幸いなことに、日本国土の3分の2の面積が森林だということである。それを見直す時期に来ているように思う。決して森林伐採を推し進めるのではない。森をどう生かすか、知恵を出し合い、今までの農政を大幅に変え ていってはどうだろうか。今必要なのは、土の匂いと土に触ると分かるあの感触を、子どもの時から教えてあげることだと考える。
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