1. HOME
  2. 木の情報発信基地Top
  3. 8.樹木
  4. 樹木・植樹・木のニュースアーカイブ TOP
ID 7231
登録日 2008年 4月17日
タイトル
縄文杉への長くて険しい道を...
.
新聞名
オーマイニュース
.
元URL.
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080416/23537
.
元urltop:
-リンク切れ-
.
写真:
  木の情報発信基地も推薦します
.
屋久島は、今では世界遺産登録地として名高い。そこにある縄文杉は、いわば屋久島の顔である。一説では樹齢7200年とも言われる巨大な杉は、見る者を圧倒すると聞いていた。
 「いつかは屋久島へ」という願いがかない、このほど同地を訪ねることができた。エコツアーに参加して、本格的なガイドさんの案内で縄文杉に会いに行くことになった。
屋久島のいくつもの嶺々(撮影:大倉寿之)   ◇  羽田空港を旅立ったジェット飛行機は鹿児島空港に着陸した。ここで小さな飛行機に乗り換えて屋久島空港に向かうか、もしくは鹿児島港から高速船に乗って屋久島入りすることになる。
 宿は空港の近くか、港の近くに取ると都合がいい。到着して、そのまま徒歩でチェックインすることができる。レンタカー会社も空港か港のそばに営業所があるので、必要な時間だけ借りることができるので安上がりで 無駄がない。
 さて、到着した翌日に縄文杉を訪ねる予定にしていた。自宅で事前に、エコツアーを実施している現地の旅行社をネット検索して、申し込んでおいた。屋久島には予想以上に多くのガイドさんがいる。経験豊富そうなと ころを選んだ。
 縄文杉の日帰りツアーは、なんと朝4時30に、宿までガイドさんが迎えに来てくれた。往復10時間にもなるので、早朝の出発となる。朝食も昼食もお弁当を宿に注文しておいた。
 こんな時間でも、宿の人がお弁当を手渡してくれることに驚いたが、屋久島ではどうやらふつうのことのようだ。町中には、この時間から店開きしているお弁当屋さんがあって、さらにすごい。ガイドさんはここでお弁当 を買っていた。登山者向けに町ができているのだ。
 さて、登山口まで車で50分かかった。駐車場は狭く、限られた台数しか止めることができない。このこともあって、本格的な屋久島のエコツアー会社は、なるべく早めの出発時間を設定している。早く出発すれば、縄文杉 までの道中の混雑も避けられる。
 駐車場の車中で朝食を食べたが、見る見るうちに駐車場は満杯になった。多いときは、入りきれない車が、登山口から1キロ以上も列をなして止まるという。ちなみに、トイレも早めに済ませないと、女性用トイレなど50 分待ちになるとのことだった。
 いよいよ車を降りて出発かと思ったら、軽く準備体操とストレッチをすることになる。かなり本格的な行程になることがこの時点で予想できた。
 午前6時前に歩き始めた。ガイドさんを含めて4人でのエコツアーだ。この旅行社では最大でも7名までしかツアーを編成しない。良心的な旅行社は少人数でのツアーを実施する。大人数でぞろぞろ歩いては、ガイドさ んの目が行き届かなくなるという配慮がある。
 出発時はまだ薄暗かったが、トロッコの軌道を進むうちに見る見る明るくなる。このトロッコの軌道が実は難物である。あまり傾斜がないので、登っている感覚はない。しかし、距離がとても長い。行けども行けども、トロ ッコの軌道である。忍耐強くなくては、トロッコの軌道で飽きてしまう。
延々と続くトロッコ軌道(撮影:大倉寿之)  よく似た風景が延々と続くので、小走りにでも行った方がよさそうに思えてくる。しかし、ガイドさんの歩く速度はかなり速い。次第についていくのに専念した方がよいことを悟った。
 ガイドさんも、準備体操のときのお客さんの様子を見て、「この人は体力がある」とか「ちょっと足腰が弱そうだ」とか見ているそうだ。われわれは基礎体力があるグループと見たとのこと。したがって歩くのが速いのだ。
屋久島では雨対策と休憩が大切(撮影:大倉寿之) ほかのツアーにくらべて早い出発なので、前方を行くツアー客の姿は見えない。それに、この日は雨の予想である。「月のうち35日は雨」(林芙美子作『浮雲』)と言われ る屋久島のことであるから、多雨は覚悟しなくてはならない。しかし、天気予報はずばり雨だった。したがって、とりやめた客もあったようだ。おかげで道中がすいている。
 事前に用意したレインウエアが活躍した。屋久島では安物のレインウエアは推奨されない。行程の厳しさが、その通りであることを教えてくれる。背負うリュックサックもカバーで覆うことになる。
 ガイドさんは傘もさしていたが、一般の人は傘で手をふさがない方がいい。手を使わないと登れない個所もあるからだ。ガイドさんが傘を持参しているのは、現場に到着して昼食をとるときに、バーナーにかざして雨 をよけるのと、いざというときにお客さんにさしかけるためである。
 それにしても、なかなかトロッコ軌道に別れを告げない。物事が気づかぬうちに移ろいゆく、そんな慌ただしい現代にあらがうかのように、屋久島は単調さをツアー客に試してくる。「耐えられるかい」とばかりに。時々遠 くを見やると、山の頂に「忍耐」の文字が浮かんで見える気がする。
 およそ2時間半ものあいだ、トロッコ軌道をひたすら進む。「忘れていました、人生の単調さに耐えるということを。ごめんなさい、刺激ばかり求めてしまって」と思わずひとり、心の中でつぶやいてしまう。
 今では屋久島は世界遺産登録地として観光客が多い。だが、もともとは山岳信仰の島である。地元の人たちは修行者の姿になって、「岳参り」(たけまいり)というものをすることを前日に資料館で学習した。
 さあ、いよいよ「大株歩道入口」というところから、本格的な登山に変わっていく。有名な「ウイルソン株」という切り株まで30分ほどであるが、意外に遠い。なかなかたどり着かない。それまでの単調さに別れを告げたら 、しっかりギアチェンジしないと足腰への負担が大きく感じられる。
 やっとウイルソン株に着いた。見事な切り株である。1914年にアメリカの植物学者ウイルソン氏が正式に発見したので、こう名付けられている。400年ほど前に切り倒された屋久杉の切り株らしい。推定樹齢2000年。中 は空洞になっていて、畳がいくつも敷けるほどの広さがある。祠(ほこら)が設けられていて、神聖な感じがする。
 見上げる位置と確度によっては、ハート状の形に写真が撮れることをガイドさんが教えてくれた。
ウイルソン株(撮影:大倉寿之) ウイルソン株の内部から天を見上げて撮影(撮影:大倉寿之)  先客が離れると、一時的に自分たちだけの切り株になった。早い出発が与えてくれた至高のひとときである。ゴールデンウィークなどは登山客で混雑するというので、かなりラッキーだ。ぽっかりと口を開けた切り株は、 何かを語りだしそうにも見える。向き合っていると心の中で対話できそうにも感じられてきた。
 雨は強く降ったり、小雨になったりを繰り返す。でも、天気予報ほどのひどさではない。
 ウイルソン株から先は、ますます急な登りになる。縄文杉までおよそ1時間半、岩場や木の階段を上がっていく。木の根を踏むのは木を弱らせるので、なるべく踏まないようにする。
 しかし、どうしても踏まなくてはならない場面もある。「ごめんなさい、踏ませてもらいます」と木の根に断る。“屋久杉”と呼ばれるのは樹齢が1000年を超えたものだけである。それ以下のものは、なんと“小杉”と呼ばれ る。杉の生きてきた時間の長さからすれば、私はただの新参者に過ぎない。だから根を踏むのは申し訳ない気がするのである。
 樹齢が2000年から3000年と推定される大きな杉が次々に現れる。大王杉は圧巻であった。ひょっとしたら、縄文杉よりこちらの方がすごいのではないかと思える風格である。ガイドさんもお気に入りの杉だ。縄文杉が 見つかる前は、こちらが屋久島の王に相当する杉とされていたという。
 屋久杉は、台風にあおられて枝が折れたり、傷ついたりして、木肌に歴史を刻んでいる。多くのこぶは、杉を変形させ、別の生き物のような印象を与える。杉と聞いて、まっすぐ伸びた木を思い浮かべるとすれば、屋久 杉は別物と言っていい。
 大王杉は、大昔からこの場所にある。どっしりと根を下ろし、天に向かって高く伸び、枝を周囲に広げている。大王杉は、何者にも脅かされることのない力強さを感じさせてくれた。見習いたいものである。
 しかし、まだ先に進む。今度は夫婦杉だ。2本の屋久杉が枝を伸ばして、ひとつにつながっている。どちらからともなく枝を伸ばしてつながっている。極めて不思議な構図だが、あまりにも当たり前のように手をつないで いるので、見る者が呆気(あっけ)に取られてしまう。
 そうして、とうとう縄文杉にたどり着いた。
..

このページの公開日は1999年11月12日。最新更新日はです。

中川木材産業のビジネスPRその12   当社設計・施工のカーポートデッキの事例 ホームページはコチラです。 画像クリックで拡大(公開2018.8.1 更新2019年9月11日 )