ID 6984
登録日 2008年 4月 1日
タイトル
巨石・巨木はなぜ信仰の対象...
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新聞名
オーマイニュース
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元URL.
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080401/22880
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元urltop:
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写真:
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日本には、巨石や巨木をご神体として信仰の対象にしている神社が多くある。
宮崎県高千穂町の高千穂神社には、杉の巨木が立ち並ぶ。境内の正面には、源頼朝の命で代参した畠山重忠が植えたといわれる樹齢800年の秩父杉が立っている。また、拝殿左手の夫婦杉は、高千穂神社主祭神であ
るミケヌノミコト(三毛入野命)とウメヒメノミコトが八柱の神を生み、十社大明神と称してこの地を治めたことから、縁結び、子授けのご利益がある杉の木として知られ、夫婦やカップルが手をつないでこの夫婦杉の周りを3
回まわると願いがかなうと言い伝えられている。
巨石文化・巨石信仰として有名なのは、宮崎県小林市にある「陰陽石」である。男女のシンボルの形をした自然石で、陽石(男石)が高さ17.5メートル、陰石(女石)が周囲 5.5メートルあり、(ひとつの石で)男女一対でそ
ろっているのは、世界でも珍しく、よろず生産の神、子宝の神として信仰されている。
宮崎県内で、巨石や巨木を信仰の対象や聖なるものとしている場所は多く、これだけでシリーズ記事が書けるほどである。
桜の名所、母智丘神社の巨石
社殿で参拝を済ませて裏手へ向かった=3月31日、都城市で(撮影:大谷憲史) 3月31日に、オーマイニュースの「桜紀行2008」の取材で出掛けた、宮崎県都城市の母智丘(もちお)神社にも巨石があった。
参道から290段の石段を登ると、母智丘神社の社殿がある。ここで参拝を済ませ、ほかに何かないかと探すと、案内板が。社殿の裏手に「陰陽石」あるとのこと。先ほど、母智丘公園で「陰陽桜」を見たこともあり、興味を
持った。
私は小さいころ、人一倍敏感で、幽霊やヒトダマらしきものを見たことがあった。社会人になってからは、「理科教師がそんな非科学的な話をして……」とよく上司にしかられていたが、こういうのは大好きというか、好奇
心は旺盛である。昔テレビでやっていた「○○○探検隊」のまねをして、探検していたこともあった。
社殿の裏手は竹林が茂り、先ほどまで聞こえていた子どもたちの歓声も聞こえなくなった。私一人である。静けさが私を襲った。程なく歩くと、「陽石」が見えた。あ、なるほど、男性のシンボルに見える。陽石の周囲は1
7.3m、高さは3.3mある。
その隣に、周囲19.3m、高さ1.7mの「陰石」があった。陰石の表示板よりもひときわ大きく「祈願水」と書かれた表示板があった。それによると、この祈願水を陰石の陰門にあたる場所にかけると縁結び、安産、商売繁
盛、無病息災、病気全快等の願いがかなうということである。最近、出会いも良いこともないので、祈願水をかけた。
これが「陽石」、周囲は17.3m、高さは3.3mある=3月31日、都城市で(撮影:大谷憲史)
横には陰石(周囲19.3m、高さ1.7m)と祈願水が置かれてあった=3月31日、都城市で(撮影:大谷憲史)
稲荷大石を横から見たが穴は確認できなかった=3月31日、都城市で(撮影:大谷憲史) さらに奥に進むと、「稲荷(いなり)神社」があった。母智丘神社と改名する前は、石峯稲荷明神と呼ばれていた。その由来につい
て、案内板より簡単にまとめてみた。
母智丘神社(石峯稲荷明神)は徳川時代の中ごろまで、稲荷大石とほら穴が知られていた。この稲荷大石は大昔よりこの地に存在した。左右に出入口の穴があり、この穴の奥は八畳敷と六畳敷程度のほら穴になっている
。このほら穴は、白狐(びゃっこ)の巣であった。白狐は昔から崇敬者の道案内として教え導き、諸業繁昌をもたらす。そのため、神社を再興し、白狐を御霊(みたま)として奉った。
現在の母智丘神社は明治3年に神社再興が行われ、明治33年に火災で全焼するも、明治36年に再建された。ご神体は、トヨウケノヒメノカミ(豊受姫)・オオトシカミ(神大年神)である。
母智丘神社の巨石群は、明治3年の神社を再興する工事の際に発掘された。この一帯は、石器時代から古墳時代にかけて人々が生活したとされる遺跡があり、これらの巨石が丘の上に群立していたものと考えられてい
る。この付近が石材の採取場であったのではないかともいわれている。
稲荷大石のほら穴を確認することはできなかったが、とてつもなく大きいことは分かった。日本一の稲荷石ということで、雨が降らないときは、この石の上で雨ごいの儀式も行われるようだ。
ふと何かの気配を感じ振り返ると、子どもらしきものが一瞬見えたような気がしたが、子どもの背丈ほどの案内板であった。
母智丘神社が再興されなければ、これらの巨石群は今でも埋もれたままで、桜の名所になることもなかったであろう。
稲荷大石の上で雨ごいの儀式が行われる=3月31日、都城市で(撮影:大谷憲史)
昔の信仰はシンプルだっただろう
時代が21世紀に入っても、この聖なる場所は、静かに自然のなかに存在していた。
石器時代の人々の宗教とは、「今日1日を病気もケガもせずに無事に過ごせますように」という単純なもの。原始時代をモチーフにしたギャグアニメ「ギャートルズ」みたいに、日の出とともに起きて、仕事をして、夕日とと
もに寝るという生活においては、今のような複雑な宗教は必要ない。
また、昔の人が巨石や巨木をご神体としたのは、人が生きていけるのは自然のおかげであると考えたからだろう。自然は偉大なもので、人の手に負えるものではないと考え、巨石や巨木を信仰の対象にしたのだろう。
現在、「私が教祖である」とか、人の弱みに付け込むような教えなど、わけの分からないカルト宗教が生まれ、人々の心を悩ましている。あさましいことである。
日本各地にある巨石・巨木を調べることで、今の私たちに必要な「教え」とは何かが分かるのかも知れない。 シリーズ化するかどうかは分からないが、今後も宮崎県内ある巨石・巨木を調べていきたい。
巨石に興味のある方は…
ところで、イワクラ(磐座)学会というのをご存知だろうか。日本における巨石構築物(磐座)に魅せられ、調査・研究を行っている学会のことである。2004年5月に設立され、2005年には宮崎市で、イワクラサミットが行
われた。今年は5月31日から6月1日まで、大阪市で「イワクラフォーラム2008」が行われる。興味がある方は参加されてみてはいかがだろうか。
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