仙台柿は、地柿と異なり、皮が薄い丸形。盛岡藩の領民が仙台領への移住を求めた1853(嘉永6)年の三閉伊一揆の際、野田の農民が仙台領から持ち帰ったことからその名が付いたという。
渋柿だが、糖度が高いことから、横合地区では昭和40年代と60年代に木を増殖して、ころ柿の特産化が試みられた。平成以降も生産組合が中心となって農協に出荷していた時期もあった。しかし、手間が掛かる ため所有者が高齢化するとともに次第に衰退、自家消費がほとんどとなっていた。
村もこれまで、皮むき機の購入費補助や、枝の剪定(せんてい)講習会開催など特産化を後押ししてきた。今でも地元には約500本の木が残り、秋には実を付ける。「カラスの餌にしてはもったいない」と、村産業振 興課が再びてこ入れに入ることにした。
手始めに考えているのがモデル地区の指定。同地区の中でも若い木が多い大葛(おくぞう)集落を指定し、50本前後を借り受ける。剪定や施肥などの管理、ころ柿加工の「受け皿」は、第3セクターの村産業開発な ど既存団体を候補にこれから詰めていく。剪定費用への補助など支援策も検討し、今秋にはころ柿出荷の運びだ。
このページの公開日は1999年11月12日。最新更新日はです。